ケセラセラ通信日記 -47ページ目
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『マラソン』、韓国映画の水準

金曜日、その日で終わってしまう映画を調べる。何本かあったが、アンテナに引っかかってきたのは『ミリオンダラー・ベイビー』と『マラソン』。「ミリオン~」は必ずもう一度見なければならないが、またどこかで上映するだろうし、もう少し時間をあけて見たほうが新しい発見があるかもしれない、と思う。で、『マラソン』(チョン・ユンチョル監督)に決めて安売りチケット屋へ。
チケット屋では、いつも「あれもこれも」と買ってしまい、結局見に行けずに悔しい思いを何度もしているので、今日は『マラソン』だけにしようと決意して出かけたが、やっぱり駄目で、『宇宙戦争』『皇帝ペンギン』『亡国のイージス』『忍 SHINOBI』『蝉しぐれ』も買ってしまう。トホホ。

さて『マラソン』だが、自閉症児とその母というありがちな題材で、『レインマン』(バリー・レヴィンソン監督、88年)や『オアシス』(イ・チャンドン監督、02年)を連想させるし、予告編で見た一場面は『グラディエーター』(リドリー・スコット監督、2000年)を思い出させた。
というわけで、あまり期待していなかったのだが、これは拾い物だった。まず、暗くないのがいい。母親の苦悩もきっちり描かれているのだが、自閉症の青年チョウォン(チョ・スンウ)の行動が巧まざるユーモアを醸し出している。
周りの人物の描き方も納得できる。子どもによかれと思ってマラソンを勧め、やがてそれは強制ではなかったかと悩む母(キム・ミスク。この人、誰かに似てると思っていたら、女優の河合美智子に似ているのだった)、かつてはボストンマラソンで優勝した経験を持つが現在は酒で身を持ち崩しているコーチ(イ・ギヨン)、母親の愛情がチョウォンばかりに注がれ寂しい思いをしている弟(ペク・ソンヒョン)と、同じく家に帰ってこなくなっている父(アン・ネサン。この人、どこかで見た顔だと思っていたら、『オアシス』で主人公に厳しく当たる兄を演じていた人だった)。とくに、立ち直ったコーチが母子の間に入り込み、やがて母親と結ばれたりするのかと思っていたら、それもなく、立ち直りはするのだが距離をもってチョウォンを支えるというあたりもサッパリとして気持いい。
ディテールも効いている。チョウォンが好きなテレビ番組「動物の王国」、シマウマ、ジャージャー麺、チョコパイ、スモモ。そして腕を噛む癖など。それらが実に効果的に、しかもさりげなく映画の中に生かされているのだ。
実話を基にしているから、ということもあるのかもしれないが、ありきたりの母子物、お涙頂戴映画にはしないぞという監督の心意気が伝わってくるようだ。そのセンスの良さに感心した。

5月に見た『スカーレットレター』(ピョン・ヒョク監督、04年)は、ハン・ソッキュ主演にもかかわらず、「もう勘弁してくれよ」と言いたくなるほど凄まじい作品だったが、韓国映画のパワーは充分に感じることができた。やはり現在の韓国映画には勢いがある。
ちなみに、『スカーレットレター』でのラブシーンが、その自殺の原因になったのではないかといわれているイ・ウンジュだが、体当たりの演技ではあっても、決して自殺するほどのことではないのに、と残念であった。だが、そこには、私たちにはうかがい知れない韓国内での評価も影響しているのかもしれない。ともかく、彼女の冥福を祈りたい。

匿名と実名

17日の「ヨーガ・イベント」のことをここに書いて以来、初めてヨーガ教室に行く。よせばいいのに、日記に書いたことを指導者のSさんにメールで知らせてしまい、おそるおそる参加することに。しかも、読んでくれたのはSさんだけでなく、ほかにも数人おられた様子で、ひたすら恐縮する。ただ、評判はまあまあで、「正直な感想だと思う」「辛口の批評は大歓迎」「音響が良くなかったのは私たちも残念」など、社交辞令もあるかもしれないが、とりあえずはホッとする。
意外だったのは、私のプロフィールを見られたのか、「シネ・ヌーヴォの方だったんですねえ」という反応が多かったこと。そこでは、自分の実名も仕事も明かしているのだから、驚くようなことではないのだが、普段はそのことをあまり意識せずに書いているので、意表をつかれた気分になったのだろう。

その実名と匿名ということに関して、先日すこし考えさせられる出来事があった。「この日記に読者登録をさせてください」という奇特な方があり、2人目でもあったので喜んで登録していただいたのだが、後日別の方からトラックバックがあって、実はその「奇特な方」は、かなり無差別に読者登録をし、ひるがえって自分のサイトの読者数を増やそうとしている人なのだと教えてくださったのだ。「エッ!」と思って調べてみると、私のところに来たのとまったく同じ文面で他の人にも読者登録をかけていた。これはあまり良い気分のものではない。
嬉しがりの私は、その「奇特な方」のサイトにお邪魔し、コメント(しかもヨイショする内容の)まで残してきてしまったというのに。ただ、そのコメント自体は、あながち嘘ではないので、そのまま残すことにし、「奇特な方」のサイトは私のそれとは性格が違うこともあって、彼(?)の読者登録者名は非公開とさせていただいた。もちろん、「奇特な方」も「別の方」も実名は分からず、ハンドルネームというのか、匿名しか分からない。
考えてみれば、これはちょっと怖いことだ。「奇特な方」に悪意があるとは思わないが、本当に悪意のある人がアクセスしてくれば、私の実名も仕事も分かってしまう。しかし、逆にこちらから彼あるいは彼女のことを知ろうとしても、相手が匿名にしていれば、ほとんど何も分からないのだから。
私が実名でサイトを開いているのは、「自分で書いたことには責任を持ちたい」というぐらいの気持からだが、世の中にはペンネームというものもあり、「ペンネームで書いているから、この人の言うことは信用できない」というものでもない。ただ、ハンドルネームとやらの持っている背後の闇のほうが、より深いという気はする。

ヨーガ教室での世間話から、思わぬ方向に思考が跳んだが、要は誰が見ているか分からないのだから慎重に、しかし正直に自分の思いを書いていくしかない、ということであろうか。てことで、皆さんヨロシク!

ヨーガ・イベントと喫茶店

午後3時前に京阪三条着。祇園祭・山鉾巡行の当日とあって、相当な人出を覚悟していたが、それほどでもなし。あとで聞いた話では、山鉾巡行は午後には終わっていたらしい。
実は、6月半ばからヨーガ教室に通い始めていて、今日はその団体が主催するヨーガ・イベントがあるのだ。会場の京都文化博物館へ急ぎ足で向かう。3時には到着。3時半開場・4時開演と聞いていたので、まずチケットだけでも買っておこうと受付へ。すると、「もう開場しています」と言われる。そのまま入ってしまおうかとも思ったが、なにしろ暑い。少し涼んでからと、喫茶店を探しに出る。喫茶店(カフェと言わないのが中年の矜持)探しは得意だ。嗅覚が働くとでもいうか。ほどなく「MAEDA COFFEE」を発見。カウンターとテーブルが2つだけのこぢんまりした店だったが、アイスコーヒーはうまかった。
3時半には京博へ戻り、入場。《定員300名》とチラシにあったが、すでに100人以上の人々がリノリウムの床に靴を脱いで座り込んでいる。さて、自分はどこに座ろうかと会場を見回していると、Nさんが声をかけてくれた。私にそのヨーガ教室の存在を教えてくれた人である。私は大阪クラス、彼女は京都クラスなのだが。「やあやあ」と、Nさんの隣に座らせてもらう。
4時の開演までにさらに観客は増え、最終的には250人ぐらいにはなっていたのではないか。『アムリタ(不死)』と題されたイベントは三部構成になっていて、第一部が『ナチケータスの魂の旅』というタイトルの演劇、第二部がヨーガの実演、第三部が解説と質疑応答となっている。
4時に演劇が始まる。大阪クラスで私を指導してくれているSさんも出演しているから、団体の幹部たちによる集団劇なのだろう。内容は、純粋な青年ナチケータスが、黄泉の国でヤマ神(閻魔大王)に出会い、「人は死ぬとどうなるのか」を問うというもの。まさに哲学の核心部分だが、音響設備の問題か会場空間の問題かは知らず、演者たちの声が聞き取りにくく、残念ながらあまり理解できなかった。しかも、30分ほどで終わってしまった。
次は、アメリカ青年によるヨーガの実演。ヨーガで行なう様々な形やポーズは「アーサナ」と総称されるが、この青年のアーサナは凄かった。よくあんなポーズが作れるなと思うほどアクロバチックな肉体の形が次々と披露される。だが、その動きは緩やかで、精神的にも非常に安定していることが見ているだけで分かる。これも30分静かに続いたが、会場はざわつくことなく、観客も集中して見ていたと言える。あとの解説で、司会者が「いいプラーナ(気)が会場を満たしていました」と言っていたが、それもあながち誇張ではない。
私はといえば、青年の体の美しさに見惚れていた。それはボクサーの美しさとも、水泳選手の美しさとも違う。一見すると痩せ過ぎに見えるのだが、必要な筋肉はついており、しかも柔軟なのだ。私はいったい何年ヨーガをやればああいう体になれるのだろうかと、わが太鼓腹をさすりながらうなだれるのであった。
最後が解説と質疑応答で、これが1時間。最初の質問者が、「僕の頭が悪いのかもしれませんが、結局人間は死ぬとどうなるのですか」と発言したとき、思わず拍手したくなったが、それに対する回答も要領を得ないものであった。ま、1時間や2時間で人生の「真理」が分かるはずもなく、それは自分で本を読むなり、ヨーガの実践をしていくなかで掴み取るしかないものなのであろう。また、永いながい修行の果てにたどりついた悟りが、そう簡単に言葉にできぬものであろうことも推し量られ、解説が「要領を得ぬ」のもむべなるかな、というところだ。
それにしても、会場を埋める250人前後の人々が、すべてヨーガの実践者なのかと思いきや、そうでもないらしく、だとすれば、この真剣さは何なのだろうと不思議な気がした。スピリチュアルなものへの希求が、この時代にふつふつと湧き上がってきているのだろうか。
さまざまなことを感じ、考えさせてくれた2時間で、これで3000円は、私にとっては妥当な入場料であった。さて、しびれた脚を伸ばし、帰ろうとしていると、私の師匠である先述のSさんが、「紹介したい人がいるから」と、ふたたび会場へ連れ戻してくれた。そこには、ヨーガ教室全体の主宰者が座っておられた。写真でしか見たことがなく、日本人なのに、あのオウム真理教を連想させるようなホーリーネームというのか、胡散臭い(失礼!)カタカナ名前なので、「大丈夫かなあ」と思っていたのだが、実際にお目にかかってみると、仙人のような人であった。とはいえ、二言三言ことばを交わしたのみで、新参者の私はひたすら畏まっていただけなのだが。しかし、「信頼できる人のようだ」という印象を持てただけでも、大収穫であった。

京都クラスのNさんとも別れ、私は近くの「イノダコーヒ」(コーヒーではなくコーヒ)の本店へ向かった。学生時代によく行った店で、込んでいてもあまり周りが気にならない。1999年、火事に遭ってしばらく休業していたが、翌年リニューアルオープンした。座席数が増え、内装もきれいになったが、私のようなオールドファンには、やはり昔のたたずまいが懐かしい。この店では、いつも「ロールパンセット」を頼む。ロールパンに海老フライが挟まっていて、キャベツとポテトのサラダが付いている。もちろんコーヒーもうまい。ここで30分ほど休憩してから京阪三条へ向かった。
ちょうど7時ごろで、空がいい景色を見せている。このまま京都を去るのがもったいなく、京阪電車の終点・出町柳まで歩くことにした。新しい靴を足に馴染ませたい、出町柳から乗車すれば確実に座れる、という思いもあった。
鴨川の河川敷は、いつ歩いても気分のいい場所だ。カップルが土手に座っている。一人でサックスの練習をしている青年がいる。ベンチで寝ているおっさんがいる。本当はいけないのかもしれないが、10人ほどの学生グループがバーベキュー・パーティーをしている。実に楽しそうだ。川の中に設置された飛び石に腰掛け、足をせせらぎに浸して上流を見つめている少女がいた。失恋でもしたのだろうか、それとも眺望の美しさに我を忘れているのだろうか。今度、私もやってみよう。
ひたすら歩くこと30分。明るかった空は、もうすっかり夜の色だ。出町柳駅の明かりも見えてきた。しかし、この汗! またどこかでひと休みしよう。出町柳駅の近くに、名曲喫茶(懐かしい響きだ)があったはず。日曜日だからお休みかなあ。でも、ありました。店名は「柳月堂」。狭い階段を2階に上がる。広いフロアにお客は3人だけ。正面にどでかいスピーカーが据えられている。大音量でかかっているのは、ドボルザークか。あちこちに注意書きのメモが張ってある。曰く、この席は「何もしない」人専用、電子音のするライターは駄目、ZIPPOなども音がしないように使え、等々。要するに「静かに」ということだが、その徹底ぶりが面白い。
イノダコーヒのロールパンだけでは物足りず、ここではコーヒーとミックスサンドを小声で注文。見慣れない客と思われたか、「あの、テーブルチャージを別に500円いただきますけど」と、きれいなお嬢さんが申し訳なさそうにおっしゃる。合計1850円だが、そこは鷹揚に「いいですよ」と答える。だが、このミックスサンドが絶品だった。1階が同じ店名のパン屋さんで、どうやら自家製パンを使っているらしいのだ。帰り際に、1階でパンを買って帰ろうかと思ったが、その誘惑はなんとか抑え込んだ。
かくして、ヨーガ・イベントと喫茶店の日曜が終わろうとしていた。

追記:長らく空き家にしてきたメインサイト『ケセラセラ通信』の「習作」に、ようやく第一弾を載せました。かなりキワドイ内容ですが、そこからの「脱却宣言」のつもりで書きました。左欄の「ブックマーク」から『ケセラセラ通信』をクリックしてお読みください。

『ミリオンダラー・ベイビー』ふたたび

梅田ピカデリーで『ミリオンダラー・ベイビー』を見る。2回目なので、ラスト40分の苛酷な運命は分かっており、それゆえ余計に、それまでの何気ない描写に涙が止まらない。
たとえば、ボクシングの試合で鼻の骨を折ったマギー(ヒラリー・スワンク)と、フランキー(クリント・イーストウッド)と、スクラップ(モーガン・フリーマン)が病院の待合室にいるシーン。ガソリンスタンドで、マギーが見知らぬ少女(イーストウッドの実の娘なのだ)と微笑みを交わすシーン。赤いピックアップ・トラック(だったと思う)の中で、マギーが「また私を見捨てる?」と訊き、フランキーが「ネバー(決して)」と答えるシーン。それらは単に、そこに「優しさ」があるから心にしみるのではない。登場人物のだれもが、「負」の部分を抱えつつ優しくあろうとしているから胸を打つのだ。
特にフランキーのたたずまいは、尋常ではない。彼はいったい、封も切らずに手紙を送り返してくる娘に何をしたのか。それはついに語られないが、打ちのめされそうになる「そのこと」に耐えつつ、しわがれ声で必要最小限のことだけを喋り、人知れず神に祈り、必死でまっとうに生きようとしているフランキーの姿は、語彙が少なくて申し訳ないが「カッコいい」と言うしかないのだ。ミーハーな私は、映画の中でフランキーが着けていた腕時計が気になって仕方ない。最新号の「LEON」が時計特集だったので買ってみたが、載っていない。そうなると、ますます欲しくなる。誰か知りませんかね、あの時計。

最初に見たとき、病室でフランキーがマギーにするある「行為」を、スクラップが物陰から見ているシーンについて、あれは本当に見ていたのか、心の眼で観ていたというべきなのか、一緒に映画を見ていた友人たちと議論になった。最初私は「そこに居た」派だったが、2回目を見た今は「心の眼」派になった。3回目はどうなるだろうか。
キリスト者ではない私は、なぜ神父があんなに俗物として描かれているのかも分からないのだが、この作品が小気味よいボクシング映画を超えて、人間存在の切実なアポリアに迫ろうとしていることは分かる。だからこそ、何度でも見てみたいのだ。アカデミー賞にもいろいろ問題はありそうだが、今回ばかりは、『アビエイター』でなくこちらに軍配を上げたのは正解だったと思う。

原一男監督と浦山桐郎監督

おおさかシネマフェスティバル実行委員会・大阪市・大阪都市協会主催の『映画連続講座』に出席。今回は、原一男監督が講師で、講演のテーマは「ドキュメンタリーとフィクション」。大きすぎるテーマゆえか、お話はもっぱら原監督が98年に撮られたテレビドキュメンタリー『映画監督浦山桐郎の肖像』についてとなる。これはテレビドキュメンタリーとしては異例の長尺で、たしか2時間ぐらいあったと思う。その製作には3年もかけたとか。
『キューポラのある街』(62年)での吉永小百合、『非行少女』(63年)の和泉雅子、『私が棄てた女』(69年)の小林トシ江と浦山監督とのエピソードなど、女優と監督の関係がハンパじゃなく凄い。田中絹代と溝口健二の関係を思い出したりした。だが、そんな「スパルタ式」の演出術はやがて受け入れられなくなり、晩年の浦山監督は不遇だったという。酒を飲むと、からむ、泣くという監督のキャラクターも影響していたのかもしれない。50代半ばで亡くなったこともあり、「最後の無頼派」と呼ばれた浦山桐郎監督の人生は、最後まで映画に情熱を傾けていただけに、なんだか哀しい。
原監督と浦山監督の接触は、原監督が『太陽の子 てだのふあ』(80年)の助監督を務めた程度だったらしいが、「僕は浦山さんが好きでねえ」と原監督はよくおっしゃる。作風も異なるし、性格も違うように思うのだが、なぜ〈好き〉なのかは訊きそびれた。

講演も無事終わり、原監督を囲んでの飲み会となる。私も同講座の裏方の一人なので、末席をけがさせていただく。〈役得〉である。その席上、原監督が「10日ほど前にね、奥崎謙三さん(原監督のドキュメンタリー作品『ゆきゆきて、神軍』の主人公)が亡くなったらしいんだよ」と、衝撃発言。身寄りがなく、お骨の引き取り手もないという状況らしいが、亡くなったことは間違いないようだ。原監督の承諾を得て、その場の一人が知り合いの新聞記者に電話をかける。しばらくして、記者から原監督にコメントを求める電話がかかってくる。さすがは新聞記者だ。数十分の間に、どこかで「ウラ」を取ったらしい。かくして、翌日から「昭和天皇にパチンコ玉を撃った男・奥崎謙三死去」のニュースが、マスコミを賑わすこととなった。いわゆるニュースソースの側に自分が立ったのは初めての経験で、少し興奮した。
しかし原監督は淡々としたもので、「どこかで酔いをさまして帰るわ」と、車の助手席に乗り込まれた。今夜のうちに東京へ、車を駆って帰るのだという。いつもながら、「ご苦労様です!」。

猫に小判の『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』

22日夜、フェスティバルホールで『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』の試写を見る。このシリーズを熱心に見てこなかった私には、作品そのものより、観客や関係者の過熱ぶりが驚きであった。
だぶん混雑するだろうと思い(この判断は正しかった)、朝の10時過ぎにフェスティバルホールへ寄って、招待ハガキを座席指定券に換えてもらう。F列Lの1番。良い席なのかどうかは分からない。1番というと、隅っこではないのかという不安もよぎる。
そして夕刻、開演の30分ぐらい前に会場へ。座席指定券を持っていても、ビルの外に並ばなければならない凄さ。なんでも、4万人の応募があったうちの2700人が来ているのだとか。しかも、金属探知機によるボディーチェックまである。係員が「この先で手荷物検査があります。カバンをお持ちの方はチャックを開けておいてください」と叫んでいる。「えっ、カバンまで調べるの。嫌だなあ」と思ったが、私は調べられなかった。どうやら〈不審者〉を対象としていたようだ。
ようやくロビーに入ると、登場人物たちの扮装をした男女が十数人並んで迎えてくれる。彼らとケータイで記念撮影をしている観客もいる。私にはそういう趣味はないので、すぐに座席を探す。前から6列目の中央付近。まず文句はない。
女性の司会者が現れ、例によっておしゃべり。「サプライズ・ゲストが来てくださっています」なんて言う。で、観客席の中を通って、ダース・ベイダーがゆっくりと登場。黒いマスクを取ると、K-1ファイターの武蔵氏である。拍手と歓声。武蔵氏は「これをかぶってると階段が見えなくて、マジで怖かったっす」と笑わせる。・・・というようなお祭り騒ぎが20~30分続き、やっと映画が始まった。
オープニングの20分は、宇宙での空中(?)戦。迫力満点、まるで自分が戦闘機に乗って宙返りをしているような気分になる。「掴みはOK」というところだろう。ラスト近く、溶岩惑星でのアナキン対オビ=ワンの死闘も見応えがあった。
しかし、何を隠そう、この〈アナキン対オビ=ワン〉という名前も、会場でもらった一枚のチラシを頼りに書いているのであって、私には登場人物たちの関係や、軍や議会などの組織の関係もチンプンカンプンなのであった。最初にも書いたように、この「スター・ウォーズ」シリーズを熱心に見てこなかった報いであろう。というわけで、私には「猫に小判」の映画体験なのでした。

心機一転、ここで出直します

ほぼ2カ月、日記を更新できなかった。あとから振り返って書こうとするのだが、それにも限度がある。2週間も空けると、もう駄目みたい。そこで、この際ブログを変更して、新たな気持で出直したいと思う。そして、この2カ月間のことは、もう振り返らない。てことで、皆さんヨロシク。

さて、ようやく『ミリオンダラー・ベイビー』を見た。すごい。それ以外に言葉が出てこない。クリント・イーストウッドは、どこまで行くのか。いま75歳だから、あと何本撮れるのかという気もするが、とことん付き合いたいと思う。そして、リアルタイムで彼の作品を見られることの幸せを噛みしめたい。
「すごい」だけでは、そのすごさは伝わるまいから、思いつくままに感想を記しておく。ボクシングジムのセットがいい。ボクシングのシーンがいい。そのテンポの良さ、小気味よさ。ヒラリー・スワンクの肉体と動き(みっちりトレーニングしたことが分かる)。レモンパイのエピソードが泣かせる。後半、「イーストウッドがこれで終わるわけはない」とは思っていたが、なんとも過酷な展開に打ちのめされた。極限状況で「愛」が試される。人は、神は、彼を赦すだろうか。誰にも答えは出せまい。
今日はこれから『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』の試写会に行くので、このへんで。『ミリオンダラー・ベイビー』は、また見るつもりなので、今度はもう少しまとまったことが書けるかも。今日はまだ「感動」のただ中にいる。
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