『マラソン』、韓国映画の水準 | ケセラセラ通信日記

『マラソン』、韓国映画の水準

金曜日、その日で終わってしまう映画を調べる。何本かあったが、アンテナに引っかかってきたのは『ミリオンダラー・ベイビー』と『マラソン』。「ミリオン~」は必ずもう一度見なければならないが、またどこかで上映するだろうし、もう少し時間をあけて見たほうが新しい発見があるかもしれない、と思う。で、『マラソン』(チョン・ユンチョル監督)に決めて安売りチケット屋へ。
チケット屋では、いつも「あれもこれも」と買ってしまい、結局見に行けずに悔しい思いを何度もしているので、今日は『マラソン』だけにしようと決意して出かけたが、やっぱり駄目で、『宇宙戦争』『皇帝ペンギン』『亡国のイージス』『忍 SHINOBI』『蝉しぐれ』も買ってしまう。トホホ。

さて『マラソン』だが、自閉症児とその母というありがちな題材で、『レインマン』(バリー・レヴィンソン監督、88年)や『オアシス』(イ・チャンドン監督、02年)を連想させるし、予告編で見た一場面は『グラディエーター』(リドリー・スコット監督、2000年)を思い出させた。
というわけで、あまり期待していなかったのだが、これは拾い物だった。まず、暗くないのがいい。母親の苦悩もきっちり描かれているのだが、自閉症の青年チョウォン(チョ・スンウ)の行動が巧まざるユーモアを醸し出している。
周りの人物の描き方も納得できる。子どもによかれと思ってマラソンを勧め、やがてそれは強制ではなかったかと悩む母(キム・ミスク。この人、誰かに似てると思っていたら、女優の河合美智子に似ているのだった)、かつてはボストンマラソンで優勝した経験を持つが現在は酒で身を持ち崩しているコーチ(イ・ギヨン)、母親の愛情がチョウォンばかりに注がれ寂しい思いをしている弟(ペク・ソンヒョン)と、同じく家に帰ってこなくなっている父(アン・ネサン。この人、どこかで見た顔だと思っていたら、『オアシス』で主人公に厳しく当たる兄を演じていた人だった)。とくに、立ち直ったコーチが母子の間に入り込み、やがて母親と結ばれたりするのかと思っていたら、それもなく、立ち直りはするのだが距離をもってチョウォンを支えるというあたりもサッパリとして気持いい。
ディテールも効いている。チョウォンが好きなテレビ番組「動物の王国」、シマウマ、ジャージャー麺、チョコパイ、スモモ。そして腕を噛む癖など。それらが実に効果的に、しかもさりげなく映画の中に生かされているのだ。
実話を基にしているから、ということもあるのかもしれないが、ありきたりの母子物、お涙頂戴映画にはしないぞという監督の心意気が伝わってくるようだ。そのセンスの良さに感心した。

5月に見た『スカーレットレター』(ピョン・ヒョク監督、04年)は、ハン・ソッキュ主演にもかかわらず、「もう勘弁してくれよ」と言いたくなるほど凄まじい作品だったが、韓国映画のパワーは充分に感じることができた。やはり現在の韓国映画には勢いがある。
ちなみに、『スカーレットレター』でのラブシーンが、その自殺の原因になったのではないかといわれているイ・ウンジュだが、体当たりの演技ではあっても、決して自殺するほどのことではないのに、と残念であった。だが、そこには、私たちにはうかがい知れない韓国内での評価も影響しているのかもしれない。ともかく、彼女の冥福を祈りたい。