匿名と実名 | ケセラセラ通信日記

匿名と実名

17日の「ヨーガ・イベント」のことをここに書いて以来、初めてヨーガ教室に行く。よせばいいのに、日記に書いたことを指導者のSさんにメールで知らせてしまい、おそるおそる参加することに。しかも、読んでくれたのはSさんだけでなく、ほかにも数人おられた様子で、ひたすら恐縮する。ただ、評判はまあまあで、「正直な感想だと思う」「辛口の批評は大歓迎」「音響が良くなかったのは私たちも残念」など、社交辞令もあるかもしれないが、とりあえずはホッとする。
意外だったのは、私のプロフィールを見られたのか、「シネ・ヌーヴォの方だったんですねえ」という反応が多かったこと。そこでは、自分の実名も仕事も明かしているのだから、驚くようなことではないのだが、普段はそのことをあまり意識せずに書いているので、意表をつかれた気分になったのだろう。

その実名と匿名ということに関して、先日すこし考えさせられる出来事があった。「この日記に読者登録をさせてください」という奇特な方があり、2人目でもあったので喜んで登録していただいたのだが、後日別の方からトラックバックがあって、実はその「奇特な方」は、かなり無差別に読者登録をし、ひるがえって自分のサイトの読者数を増やそうとしている人なのだと教えてくださったのだ。「エッ!」と思って調べてみると、私のところに来たのとまったく同じ文面で他の人にも読者登録をかけていた。これはあまり良い気分のものではない。
嬉しがりの私は、その「奇特な方」のサイトにお邪魔し、コメント(しかもヨイショする内容の)まで残してきてしまったというのに。ただ、そのコメント自体は、あながち嘘ではないので、そのまま残すことにし、「奇特な方」のサイトは私のそれとは性格が違うこともあって、彼(?)の読者登録者名は非公開とさせていただいた。もちろん、「奇特な方」も「別の方」も実名は分からず、ハンドルネームというのか、匿名しか分からない。
考えてみれば、これはちょっと怖いことだ。「奇特な方」に悪意があるとは思わないが、本当に悪意のある人がアクセスしてくれば、私の実名も仕事も分かってしまう。しかし、逆にこちらから彼あるいは彼女のことを知ろうとしても、相手が匿名にしていれば、ほとんど何も分からないのだから。
私が実名でサイトを開いているのは、「自分で書いたことには責任を持ちたい」というぐらいの気持からだが、世の中にはペンネームというものもあり、「ペンネームで書いているから、この人の言うことは信用できない」というものでもない。ただ、ハンドルネームとやらの持っている背後の闇のほうが、より深いという気はする。

ヨーガ教室での世間話から、思わぬ方向に思考が跳んだが、要は誰が見ているか分からないのだから慎重に、しかし正直に自分の思いを書いていくしかない、ということであろうか。てことで、皆さんヨロシク!