ケセラセラ通信日記 -46ページ目

シネ・ヌーヴォのリニューアル

11日(木)の夜から13日(土)の朝にかけて、突貫工事でシネ・ヌーヴォの座席が新しいものと取り替えられた。また今日(13日)は特集上映「成瀬巳喜男の藝術」の初日でもある。で、12時半からシネ・ヌーヴォの2階で関係者10人ほどのささやかな記念パーティーが開かれた。
気心の知れた人たちばかりなので、話はあっちに飛び、こっちに飛びし、ボケとツッコミの応酬もすさまじい。階下で映画を見ている観客に聞こえはせぬかと心配になるほどだった。
座席のリニューアルと同時に、入り口横の銅板も取り替えられた。ここには、市民株主のお名前(団体も含む)が彫り込んであるのだが、初代銅板には「シネ・ヌーヴォ梅田」オープン時(その後閉館)の増資に応じてくださった株主のお名前が記されていなかったのだ。その方々のお名前も入れ、さらに株主ではないが非常にお世話になっている方々のお名前も入れて、約270名・団体が並ぶ二代目銅板となった。入り口ドア横の壁という目立たない場所だが、今度シネ・ヌーヴォに行かれるときは、ぜひ見ていただきたい。

パーティーは延々と続いていたが、せっかくなので午後4時40分からの『妻』(1953年)を見る。新しいシートはやはり座り心地がいい。なにより、ヒザの前の空間が広くなったのがありがたい。
映画は、上原謙・高峰三枝子・丹阿弥谷津子・三国連太郎・新珠三千代などが出ていて、当たり前だがみんな若い。結婚10年になる倦怠期の夫婦。平凡だが真面目な夫に、会社の部下が好意を寄せる。お茶を飲み、美術展を一緒に見に行くうちに、一線を越えてしまう。真剣に悩む夫。やがてそれに気づく妻。妻は捨て身の戦法に出て、女は去る。何事もなかったかのように、日常が戻ってくる。
簡単に言ってしまえばそんな映画だが、夫婦の日常を描くところはユーモアを交えて面白おかしいのに、やがてのっぴきならないところに入り込むあたりは身につまされるというか、妙にリアルで、昭和20年代後半という時代背景はあるにせよ、現在に通じる男女の関係をジワッと重く考えさせる。
また、サラリーマンが自宅の2階に下宿人を何組も置いているのも懐かしい。その下宿人たちが夫婦の生活に入り込んできて、今ならうっとうしいことだろうが、それがある種、他者の視点や考え方を提示することにもなって、救いになっているのだ。
ありふれた庶民の生活を描きながら、人間の奥深い「業」にまで迫っていて、やはり成瀬はただ者ではないと思った。

聖なる夜

午後7時、京都・高野川沿いの70年代風居酒屋で、ヨーガ仲間と飲み会。しかし、皆さん基本的に飲まれない。私だけ生ビールというのも落ち着かないので、「少し飲んでくださいよ」と勧めると、「年に1回ぐらいしか飲まないんだけど」と、その年に1回のグラスワインをおふたりが付き合ってくださった。
私を含めて5人。ヨーガ歴の長い順から、10年、5年、3年、半年、2カ月(これが私)となる。私以外は全員30代の女性。両手に花ならぬ、両手に花×花という状態で、こんなに贅沢な飲み会は生まれて初めてではなかろうか。
だが、皆さんオンナのフェロモンを出されない。ヨーガ修行のたまものであろうか。「男とやる」などという発言が飛び出したりもするのだが、なぜかサラッとしている。私自身、なよなよ、ベタッとした女性は苦手なので、実に気持がいい。
下世話な話ばかりしていたわけでなく、ヨーガの本を読んでも分からなかったところを教えてもらったり、何年もヨーガをやっていても私と同じように迷いや悩みを持っておられることを知って安心したりと、私にとっては非常に有意義な集まりであった。
生ビールからグラスワインに進み、私は例によって居眠りもしたが、また復活して楽しい話に加わるといったふうで、気がつくと11時近くになっていた。まるで私たちのテーブルに天使が降りてきている(ちょっとクサすぎるか)ような気もしたのだが、「これから大阪まで帰るので、お先に」と席を立ちかけたら、「じゃあ、私たちも」と、お開きになった。
店を出て出町柳まで15分、雨上がりの爽やかな風が川端通を吹き過ぎて、「よかったなあ、元気出せよ」と私にささやきかけてくるのだった。

『Coming OUT!』

ヨーガのイベントで、友人から「笹野みちる」という女性を紹介されたので、名刺をお渡しして「メールでもください」と言っておいたら、すぐにメールがきた。これが長文で、しかも読ませる。京都弁というのか、日常自分が使っている言葉を駆使して、肩の力が抜けている。そして、自分が伝えたいことは充分に表現されている。これはすごい! と思って、「文章がお上手です」なんて偉そうに返信メールを送っていたのだったが、何度かメールをやりとりするうちに、彼女が一流の「表現者」であることが分かって、こちらが青くなった。

1990年前後に結構メジャーだった『東京少年』というバンドをご存知だろうか。そのボーカルを担当していたのが、笹野みちるさんなのであった。そのころ、奇遇にも私は、彼女のお母様と編集者として接触があったのだ。ご自宅にうかがったとき、大きな部屋にドラムセットやギターが置いてあり、「娘が東京でバンドをやっている」とお聞きしたのだが、CD(当時CDはあったのか)を聴くでもなく、そのまま流してしまった。残念!
笹野みちるの名をさらに有名にしたのが、1995年に書かれた『Coming OUT!』(幻冬舎)だった。この本は、巻頭に《わたし、笹野みちるはこの本をもって「レズビアン」としてカミングアウトします》とはっきり書かれているように、メジャーシーンの女性アーティストとしては日本で最初のカミングアウト宣言の書となったのだった。ベストセラーにもなり、音楽業界は騒然としたらしいのだが、恥ずかしながら私は、そのことも知らなかった。
だが、カミングアウトしてから1年、「さあこれから自由にバンド活動するぞ」と思っていた彼女を、ひどい「うつ」が襲う。当時の恋人との別れがそのきっかけだったらしいが、そこには「燃えつき症候群」的な要素もあったのではないかと拝察する。彼女は京都に戻り、《なんにもなしになってしまった自分の、「日常」をいかに生きるか》を模索しはじめる。そのころに書かれたのが、『泥沼ウォーカー』(パルコ出版)らしい。
現在は「うつ」からも脱却し、『京都町内会バンド』『吉祥寺三姉妹』を結成、ソロとしても活動されている。

で、遅ればせながら、笹野さんの本を読んでみたくなった。CDを聴こうと思うより先に、本を読みたいと思うのは、私が活字人間だからだろうか。まず彼女の文章に触発されたからかもしれない。
事務所からの帰りに紀伊国屋書店で『Coming OUT!』(幻冬舎アウトロー文庫)を探すが、ない。旭屋書店に回ってみたら、そこにあった。すぐに喫茶店に入って読み始め、電車で読み継ぎ、寝床で朝の4時ごろまでかけて一気に読んでしまった。女子校だった中学・高校のころの同級生との恋、男性と付き合ってみての違和感、そういう経験を、つねに「自分とは何か」と問いかけながら、非常に冷静に論理的に書かれている。嘘のない人だ。自らを問い詰めてゆくその誠実さは、ときとして息苦しくなるほどだ。そこには、《日本で初のレズビアン宣言》などという惹句とは離れて、いかに生きるべきかを必死に探し求める、ひとつの裸でふるえている魂があるだけだった。
そんな笹野みちるさんがヨーガと出会えたことは、まさに恩寵だったような気がする。

『泥沼ウォーカー』もネットで注文した。『京都町内会バンド』のホームページで彼女のCDやDVDも注文した。私の「笹野みちる病」は、しばらく続きそうだ。彼女の名文に触れてみたい人は、百聞は一見にしかず、『これで全部よ!みちる庵』(http://www.obu.to/~sasano/)の「お届け!水洗便」を読んでみたまえ。

「点滴石をうがつ」か

このところヨーガをテーマにした文章が多くなっている。それだけ、今の自分がヨーガに関心を持っているという証拠だろうが、興味のない方は読みとばしていただきたい。

さて、8月3日の水曜日、時間をやりくりしてヨーガ教室へ。いつもより10分ほど早く到着したら、生徒は3人だけ。「今日はマンツーマンで教えてもらえるかも」と期待したが、定刻にはいつもどおり12人ほどになっていた。全員が一畳分ほどの広さのヨガマットを敷くから、それで教室はほぼ一杯になる。「これ以上生徒が増えたらどうなるんだろう」と、少し心配になった。だが、不思議といつもこれぐらいの人数なのだ。
体験受講も含めて、これで6回目。相変わらず私がいちばん太っているし、体も硬い。今回も結局、家では1回もアーサナの練習をせぬまま参加したが、おや、前より少し曲がるぞ、ひねれるぞ、という実感があった。こうなると、ガゼンやる気が出てくる。来週の受講日までには、必ず家で練習しようと、ひそかに決意した。
最後の20分ほどは瞑想の時間。あぐらに似たシッダ・アーサナ(達人の形)も、それほど苦痛ではなくなっている。しかし、瞑想の内容はダメだった。雑念が次々と浮かんでくる。これではいかんと、宇宙空間をイメージしてみたら、スペースシャトル→野口さん→スター・ウォーズと、まるで映画のように映像が浮かんできてしまった。足に鋭い痛みを感じなくなった分だけ、意識が分散してしまったのだろうか。まったく瞑想は難しい。

だが、この教室の良いところは、瞑想のその先の先、つまり「真理」や「悟り」に到達することまでを視野に入れている点だ。そんなものが今の私に分かるわけもないし、一生かかっても辿り着けないかもしれないのだが、遠大な目標があるというのは、いいものだ。
ヨーガの本を読んだり、S師の話を聞いたりするなかで、なんとなく感じているのは、「すべては肯定されている」ということだ。人生には浮き沈みがあり、苦楽がないまぜになっているが、それは表面の波のようなもので、本質とは関係ない。その波の下深くに、本来の自己があり、それはどこまでも明確で揺るぎないものだ、というようなことだろうか。
そんな話を友人にしたら、「そんなこと言って、あなたのズボラなところまで肯定しないでくれよ」と言われてしまった。

ちょっと宣伝

私が編集を担当した妹尾豊孝(せのお・ゆたか)さんの写真集『50年ぶりの炭都~筑豊 田川の今』(ブレーンセンター刊)のことを4月18日の日記(旧版)に書いたが、同書の書評がようやく出てきた。6月27日(月)の公明新聞、7月3日(日)の日本経済新聞、そして7月31日(日)の朝日新聞である。
いずれも好意的な書評で、写真集から1枚の作品を選んで載せているのも同じ。朝日は作家の立松和平氏が評者で、《生活の屈託のない喜びに満ちた写真集である。人生の本当の価値とは、他人から見ればささやかで平凡なところにある。この写真集のよいところは、写真家が被写体の人々と喜びを共有している気持ちが伝わってくる点だ。微笑みながらシャッターを押しているに違いない》と書いておられる。妹尾さんが《微笑みながらシャッターを押している》とは私は思わないが(そこはプロだし、真剣だから)、気持としてはそうだろう。
新聞の書評に力(効果)がなくなったと言われて久しいが、やはりこうして取り上げてもらえると嬉しい。特に、この写真集のように地味なテーマで、発行部数もそう多くないとあってはなおさらだ。これで何か賞でも取ってくれたら、もっと注目してもらえるのになあと、ひそかに思っているところ。
ともかく、ジワッーと温かい気持になれる写真集なので、書店で探してぜひ覗いてみてください。

もうひとつ宣伝。いま発売中の「映画芸術」誌(412号、『ヒトラー~最期の12日間』が表紙写真に使われている)にシネ・ヌーヴォのことを書かせていただいた。「映画館通信2005」(P116~117)というコラム。シネ・ヌーヴォの誕生から現在までを、分かりやすく正直に書いたつもりだ。ご一読いただければ幸いです。

ヨーガの小さな集会の夜

7月17日に京都で『アムリタ(不死)』というヨーガのイベントがあったことは書いたが、その「おさらい」のような会が今度は大阪であった。南森町(大阪市北区)の小さなカフェ・レストランで開かれたその集まりは「リーラー・サンガム」と題され、《リーラーとは神的遊戯、サンガムは三つの河の合流点=聖地を意味する》とチラシにあるが、全体としてどういう意味なのかはよく分からない。
午後7時から始まった会は、おおまかに3部構成になっていて、まず17日に模範アーサナ(姿勢、ポーズ)を見せてくれたアメリカ人青年がヨーガの修行をしているドキュメンタリーDVDの予告編を見る。何度見ても、凄い。本人も参加されていたので、お聞きすると、撮影されたのは3年前で、その時点ではヨーガを始めてまだ2年だったという。10年ぐらいは修行を重ねている人だと思っていただけに、これには驚いた。天性の素質があったのか、あるいは2年間寝食を忘れて修行したのか。いずれにせよ、彼の集中力は尋常ではない。
次は、17日の演劇「ナチケータスの魂の旅」を撮影したビデオのダイジェスト上映。当日は音響効果が悪くてセリフがよく聞き取れなかったと日記に書いたが、それは解消された。だが、「人間は死ぬとどうなるのか」というナチケータスの問いに、ヤマ神(閻魔大王)は「アートマン(真理、悟り)を得れば、不死となる」と答えるのだが、そのアートマンに至るには、やはり修行が必要なのであった。
後半は、ヨーガ教室の主宰者・S師を囲んでの懇談会。20人ほどの集まりだったから、貴重な経験といえるかもしれない。しかし、みなさん大人しい。自分は初心者だから黙っていようと思ったが、司会の女性と目が合ったり、多少は興行の世界を知っているので、こういう場合は誰かが口火を切らなければ場が盛り上がらないと考えたりで、結局すこし喋ってしまう。S師のお話は、ヨーガの最終目的である「アートマン」をめぐってのものとなったが、私のような初心者には、それはずっとずっと先のこと、もしくは一生出合えないことのように思われ、「なるほど、そういうものですか」と拝聴しているばかりであった。
前半は少し喋りすぎた、という思いもあって、閉会後はそそくさと退散したが、夜道を歩きながら、S師と話すのはまだ畏れ多いが、ヨーガをやっている人は、みんな心がきれいというか、透明な感じがするなあと考えていた。ズボラな私が、ヨーガのイベントには皆勤賞なのは、そのあたりに理由があるのかもしれない。

自分でしなさい、自分で

何度も書いているが、私の「ケセラセラ通信」には、仕掛人というか後見人がいて、このブログ日記は別として、ホームページのデザインや記事の更新は、そのojiさんにお任せしてきた。もちろん、文章は全部私が書いていますけど。だが、あるとき「もうそろそろ、自分で更新できるようになってください」と引導を渡されてしまった。
以来、ojiさんに大阪の事務所まで来ていただき、更新についてのレクチャーを受けること2回。そのときはなんとか出来るのだが、新しい文章も作らず、日が空いてしまうと、教えられたことを右から左に忘れ、出来なくなってしまう。
「しょうがないですね。30日に大阪で用があるので、そのときにもう一度お教えしましょう。でも、これが最後ですよ」と脅かされ、その日となる。
午前中にレクチャーを受け、ojiさんは所用のため外出。その間に、一人でやってみなさいということだ。いい線までは行くのだが、教わったことと少しでも違う表示が出ると、もう触れられなくなってしまう。しかし、もう後がないのだからと自分に言い聞かせ、何度かチャレンジしていると、奇跡のように更新できた。
午後4時、ojiさんが帰ってこられ、細かいところを手直ししてもらって、ようやく更新画面が完成。「今度は写真も入れられるように、を目標にしましょう」と励まされる。だが、まだまだ不安。次は自分一人でできるかなあ。そのためにも、早く更新用の文章を作らなければ。

かくして当日更新されたのが、「習作」ページの第2弾「入退院の記」であります。1年半ほど前に書いたものですが、そのときは一生懸命でした。読んでやろうという方は、左欄のブックマークから「ケセラセラ通信(メインサイト)」をクリックしてホームページに入り、目次の「習作」を開けてください。

『埋もれ木』の曰く言いがたさ

友人2人と、梅田ガーデンシネマで小栗康平監督の『埋もれ木』を見る。冷房がよく効いていて、程度の差はあれど3人とも眠ってしまう。《山に近い小さな村》での人々の生活が、これという中心もなく断片的に映し出される構成も、睡眠を妨げない。だが、目覚めて見ているときの映像は、隅々まで計算され尽くし、なみなみならぬ完成度で脳裏に刻み込まれる。
後半、大雨でゲートボール場の崖が崩れ、そこから「埋もれ木」(埋没林とも呼ばれ、火山噴火によって立ち木のまま地中に埋もれた古代の森)が姿を現すあたりから、これは死者あるいは霊魂との、普段は見えぬ回路を描こうとした作品であるかと思い始める。しかし、はっきりとした主張がなされるわけではない。人間の営みは、かくも永く、淡々と続いてきたのだ、と言っているようにも思える。小栗監督自身、《『埋もれ木』では、見えていることと、見ようとしていることが、ないまぜになっている。結果として、映画にある程度の抽象性が入ることを避けられなくなった》とパンフレットに書いている。いわゆる、「見た人がそれぞれに感じ、考える映画」なのであろう。小栗監督は先の文章に続けて、《もしかしたらそれが観客にうとまれることがあるかもしれないと思う》とも書いている。実際、「分からない」「難解だ」と言ってしまいたくもなるのだが、それを言っちゃあオシマイなのだ。そう言ってしまうと、この映画の美しさ、イメージの瑞々しさ、静謐さ、精神性の高さを一言で切って捨てることになってしまう。まあ、眠ってしまって偉そうなことは言えないのだが、必ずもう一度見るぞ! とひそかに決意しながら劇場を後にしたのであった。また、それだけの価値がある作品だと思う。

映画を見てから、恒例の飲み会になる。眠ってしまった負い目からか、誰も映画の感想を語らない。しかし、1時間以上が過ぎ、もう一人の仲間が飲み会に加わったあたりから、少しずつ映画の話になる。驚いたことに、自分が見ていた場面のことは、3人とも鮮明に覚えているのだ。それだけ映像にインパクトがあったことを証明していよう。かわいそうなのは、後から参加したYさんで、「顔の違いがよく分からない3人の女の子が、お話を作ってリレーしていくの」とか「建設途中の高速道路の上で、男の子と女の子が遊ぶんだ」とか「赤い馬の紙灯籠が夜空に浮かぶシーンは、すごくきれい」などと言われても、映画の全体像はさっぱり掴めなかったと思う。でも、きっとYさんも、私たちの興奮した口調を忘れず、いずれどこかで『埋もれ木』を見てくれることだろう。

ヨーガの深み

水曜日はヨーガ教室の日(ヨガと言ったりヨーガと言ったりするが、私の教室ではヨーガの語を使っている)。前日は自宅へ帰れなかったので、夕方自宅へ寄り、着替えなどの用意をして教室へ。われながら、「よくやる」と思う。
ヨーガではさまざまなアーサナ(ポーズ、姿勢)を行なうが、「柔軟性を競うものではない」という教えを頼りに、硬い体のままあまり無理をせず、曲げたり、伸ばしたり、ひねったりしているが、それも5回目ともなると、周りの人たちがきれいな形を作っているのが気になり、いささか恥ずかしい。そう思うなら、自宅でも練習すればいいのだが、ズボラな性格はまだ直らず、週1回の教室に通うのが精一杯(それもときどき休む)。
しかし、得意なアーサナもある。各アーサナの間に、全身をリラックスさせるためにシャヴァ・アーサナ(屍の形)を行なうが、これは得意だ。仰向けに寝て、両手・両足を少し広げて全身の力を抜くだけ。要するにダラッと寝ているだけなのだが、体が左右対称になっていなかったり、肩や首に力が入っていてはいけないとされる。だが、これだけは最初から褒められた。普段もダラーッとしているからであろう。
2時間の教室のうち、最後の20~30分は瞑想に充てられる。なかなか「うまく瞑想できた」とは思えないのだが、この時間も好きだ。シッダ・アーサナ(達人の形)という、あぐらに似た形で座り、目を閉じて意識を眉間(あるいは胸の中央)に集中する。さまざまな雑念が去来するが、その都度、それを排除していく、というか消していく。「無」になることが目標なのだと思うが、それは「虚無」とは違うのであろうか。あるいは、宇宙と一体化することを目指すのだとすれば、それは「神の視点」に立つことになりはしないか。そんなことを考えていたが、これも雑念には違いない。喝!

ヨーガ教室を出ると、喫茶店に入って「おさらい」をする。その日注意されたことや感想をノートに記すのだ。このときは自分でも不思議なほど真面目。ヨーガをやったおかげで、プラーナ(気)が活性化されているのだろうか。家に帰ると、元の木阿弥なのだが。でも今度の水曜日までに、せめて1回か2回、自分でアーサナをやってみよう(できるかなあ)。

『ふたり』の衝撃

26日深夜(正しくは27日)、NHK-BS2で大林宣彦監督の『ふたり』(91年)を見る。14年前の作品で、一度は見ているはずだが、その素晴らしさに酔った。
まず、主人公の石田ひかりと中嶋朋子が若く美しい。石田ひかりはこれがスクリーン・デビューだそうだが、ドジでノロマなくせに、その若さがすべてを乗り越えさせ、人生を肯定的に歩ませる、という主人公・美加そのものとしてそこに居る。寝ぼけたようなしゃべり方も美加にふさわしいのだが、少し聞き取りにくいのが難点か。
中嶋朋子は、突然の事故で亡くなった姉・千津子を演じ、幽霊として出てきて美加を助けるという設定。だれからも愛された優等生で、早世したから余計に伝説化され惜しまれている、という感じもピッタリだ。
何をやっても姉と比較され、自信を持てない妹を、「あなたにはできる。あなたは私以上に才能があるのよ」と励ますところも、(私にはきょうだいがないためかもしれないが)泣かせる。
母(富司純子)は、その姉に頼り、夫(岸部一徳)に頼り、という性格だったため、突然の千津子の死に耐えられず、精神に変調をきたしている。しかし、優しい夫は全力で、美加も自分にできる範囲で懸命に母を支えようとする。このあたり、やや「きれいごと」にも感じられたが、大林作品としては珍しく(?)苦い展開が用意されていた。
父が左遷され、尾道から小樽に単身赴任となり、そこで部下(増田恵子)と不倫の関係になってしまうのだ。やがて夫婦の関係は修復されるが、夫は小樽に戻り、妻は「そこに居るほうが気が楽だから」と病院に戻るという終わり方で、予断を許さないという感じは残る。そのあたりもリアルである。
物語の舞台、坂の多い尾道の風景もいい効果を出している。大林監督の「尾道三部作」(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)は有名だが、さすがに故郷だけあって、尾道を撮らせたら右に出る者はない。
私は映画音楽については無頓着なほうだが、この映画の主題歌は心に残った。美加が口ずさみ、千津子がうたうその歌は「草の想い」という曲で、私が知らないだけで有名な作品なのだろうと思っていたら、大林宣彦作詞・久石譲作曲のオリジナルだという。あまつさえ、ラスト・クレジットにかぶせて、その二人がデュエットしているのだから驚く。確かに名曲だと思うが、そこまでするのは少々「ワル乗り」で、やはり最後は美しい声の女性ボーカルで締めてほしかったなあ。
もうひとつだけ苦情を言わせてもらうと、尾美としのりのキャスティングである。千津子の恋人で、彼女亡きあとは美加とも心を通わせる、という羨ましい役なのだが、大林作品の常連とはいえ、この二枚目役に尾美としのりはないだろうと思った。
苦情も言ったが、名作であることは間違いない。スクリーンで見る機会があったら、駆けつけよう。