ケセラセラ通信日記 -44ページ目

「やれやれ」の日々

17日(土) おおさかシネマフェスティバル実行委員会(私も実行委員の一人)・大阪市・大阪都市協会主催の「映画連続講座」に参加。講師は、映画美術の大家・西岡善信(にしおか・よしのぶ)氏。現在手がけておられる『バルトの楽園』の話から、海外の映画祭に参加された際のエピソードまで、ユーモアを交えて話される。確かな記憶力、かくしゃくとした姿勢、常に前向きな生き方など、とても83歳とは思えない。なにより、そのお話の中に、温厚な人柄が表れていて、いっぺんでファンになってしまった。
西岡さんが美術監督を務められた『雪之丞変化』(1963年、市川崑監督)の上映もあった。なんとも豪華な作品。長谷川一夫、山本富士子、若尾文子、中村鴈治郎、船越英二、市川雷蔵、勝新太郎などが出ているのだが、雷蔵、勝新は脇役でしかない。脚色は伊藤大輔と衣笠貞之助だし、衣装も豪華。美術はシンプルだが、それはあえて形式化されたもので、歌舞伎の舞台装置を連想させた。しかも「アートでござい」と偉そうぶることなく、エンタテインメントに徹しているのが心地よい。1963年といえば、昭和38年だが、昭和30年代の日本映画の輝きを再認識することができた。
講座終了後、講師の方と一杯飲めるのが役得なのだが、西岡さんは所用のためすぐに帰られ、残念であった。仕方なく、関係者3人と居酒屋へ。その日のうちに印刷所へ戻さなければならないとかで、居酒屋の机で「第1回、おおさかシネマフェスティバル」のポスターの校正をする。やれやれ。
午後8時ごろにお開きとなり、西岡さんの著書『映画美術とは何か』(山口猛編、平凡社、2000年)を本屋で探すが、2軒回ってもなし。喫茶店でコーヒーを飲んでいると、さっきまで一緒だったK氏から電話。私とシェアしている事務所の鍵をなくしたらしく、入れないと言う。たぶん、事務所内に置いたまま外出してしまったのだろう。これから事務所で一仕事しなければならないと言うので、事務所まで戻る。やはり鍵は部屋の中にあった。やれやれ。

18日(日) もうすぐ東京の叔母が来るので、家の中を片付けておこうと思うが、昼過ぎまで寝ていて、結局何もできず。やれやれ。

19日(月) 友人とテアトル梅田でタイ映画『風の前奏曲』(2004年、イッティスーントーン・ウィチャイラック監督)を見る。決して悪い映画ではないのに、観客は6人! シネ・ヌーヴォの「日韓名作映画祭」も苦戦しており、同情を禁じ得ない。19世紀末から20世紀初頭にかけて実在した、タイ式木琴(ラナート)奏者・ソーンの生涯を描いている。非常にオーソドックスなつくりで、主人公をやや美化しすぎの感もあるが、第二次大戦下、当時の軍事政権が伝統芸能を抑圧しにかかると、ソーンが静かに抵抗の姿勢を示すところが良かった。それにしても、ソーンの青年期を演じた俳優が、ダイエーからメジャーリーグのホワイトソックスに移った井口選手にそっくりなのが最後まで気になって仕方なかった。
映画の後、新しく出来た「NU茶屋町」8階の店で飲み会。空腹だったためか、少しの酒で酔っぱらう。帰りに寄った6・7階の「タワーレコード」は使えそう。千鳥足で事務所へ。猛烈に眠くなり、また事務所に泊まってしまう。やれやれ。

熱い映画

14日夜、録画しておいた耐震強度偽装事件の証人喚問ビデオを見る。7時間近くあり、結局徹夜になってしまった。よって、15日は仕事にならず。

ロッキード事件のときにも思ったことだが、どんなに大きな会社の社長であろうが、財産が何億あろうが、人間はみなチョボチョボで、立派だとか尊敬できるというのも、そいうこととは何も関係ないんだなあと痛感。

また、この問題が発覚したとき、ある専門家が「性善説にのっとったシステムなので、強度偽装などは考えられない」と語っていたが、BSE問題のときにも偽装があったし、役所では裏ガネ、会社では横領、寝台特急の食堂車従業員はコーヒー代を着服するとあっては、あらゆる面でチェック体制を強化するしかないのではないか。姉歯氏ではないが、人間は「弱きもの」であるらしい。でも、そういう社会になったら、ますます窮屈で生きにくくなるなあ。


16日、「おおさかシネマフェスティバル」のチラシ校正。いよいよ始まった、という感じだ。

午後7時から、シネ・ヌーヴォで『丙泰(ピョンテ)と英子(ヨンジャ)』を見る。1979年、ハ・ギルチョン監督の韓国映画。26年前の作品だが、なんとも「熱い」映画だった。ピョンテ青年の軍隊生活から話が始まる。男ばかりの3年間のなか、恋人ヨンジャからの手紙だけが潤いとなる。そのヨンジャが面会に来る。「外泊許可をもらったから」と二人で外出。おやおや結構進んでるなと思うが、別々の部屋に泊まる。そのあたりが、なんともほほえましい。

ヨンジャには、親が決めた医師の婚約者がおり、経済的にもピョンテには太刀打ちできない。若さと行動力だけで、その婚約者からヨンジャを奪い返すのが話の骨子となる。猪突猛進型のピョンテは、誰かさんを連想させた。

最近の韓流スターとは違い、ピョンテを演じた青年が全然カッコ良くないのがいい。その友人たちもダサい。でも、みんな熱いものを感じさせる。カットつなぎもスムーズではない。同時録音ではないのだろう、セリフと口の動きがずれる。日本語字幕も不十分に思える。フィルムの退色もひどい。それでも、映画全体から、青年のまっすぐな思いと躍動する肉体が、監督たちが不器用ながら映画にぶつけた情熱が伝わってくる。

この映画のハ・ギルチョン監督は、37歳の若さで亡くなったという。残念なことだが、彼の映画への思いは今も感じることができる。こういう映画、もっともっと見られる機会が増えればいいのに。

会議は踊る

午後1時から「おおさかシネマフェスティバル」(2006年2月3日~5日)に向けての会議。ベストテンの集計、個人賞の決定、上映する(と言うより、できる)映画の選定、トークショーや表彰式に来ていただけそうなゲストの検討などなど、たった3日間の映画祭なのに、決めなければならないことは山ほどあり、会議は延延3時間半におよんだ。

この映画祭でも、「韓国エンタテインメント映画祭2005 in 大阪」の公式カタログほど本格的なものではないが、パンフレットを作ることになりそうで、日程的にはかなりきついことになってきた。年内に原稿をそろえて、正月明けには編集作業に入らなければなるまい。また忙しくなりそうだ。


あわてていたので、ヨガマットや着替えを持って出るのを忘れたが、急いで帰宅すればヨーガ教室に間に合いそう。で、5時半に家へ帰って、6時にふたたび外出。

ヨーガ教室に通い始めてほぼ6カ月。休み休みではあったが、今日で17回目。毎回指導してもらっているアーサナ(姿勢、ポーズ)も、不十分ながらなんとかこなせるようになってきた。最後の瞑想を終えると、やはり「快感」なのであった。

指導陣のSさん、Uさん、Tさんも、親しく接してくださっているのを感じる。だが、私はまだまだ初心者なのだ。いい気になってはいけない、と自戒する。なんて謙虚なのだろう! すべてにおいて、常にこういう心構えでいられたらなあ。そのヨーガ教室も、年内はあと1回だけ。来週も参加できるといいが。

寒くなりましたね

なんと、2カ月ぶりの更新になってしまいました。この間、BBSやメールで、何人かの方から「元気にしてるの?」とか「大丈夫ですか」などのお言葉をいただき、このつたない日記にも読者がいることを実感し、ありがたいやら嬉しいやらであります。
「韓国エンタテインメント映画祭2005 in 大阪」という催しがありまして、そのポスター、チラシ、公式カタログなどの校正に追われていたのです。12月10・11日に中之島のリサイタルホールでメインイベントがあり、23日まではシネ・ヌーヴォで「日韓名作映画祭」が開かれています。
大阪市、関西テレビ、協賛企業各社などが関わっているうえ、日程もタイトだったので、仕事は大変でした。でも、おかげで韓国のアン・スルギ、イ・ユンギ、リュ・ジャンハ監督、日本の 瀬々敬久、行定勲監督などとお話しする機会を得、日韓映画人の熱い思いを肌で感じることができました。
また、12月11日にはシネ・ヌーヴォで『八月のクリスマス』の字幕朗読上映会を実施し、そのナレーションを担当。よく練習した甲斐あって、好評でした。この『八月のクリスマス』の監督はホ・ジノさんで、前述したリュ・ジャンハ監督の先輩にあたり、兄弟のような関係とのことです。映画から受ける印象では、優しい人だろうと想像しますが、リュ・ジャンハ監督いわく「とても頑固で、助監督(つまりリュ・ジャンハさん)には厳しい」とのこと。それも兄弟みたい、だからこそなのでしょう。

山形国際ドキュメンタリー映画祭の感想も尻切れとんぼになっていますが、今さらという気もするし、機会があればまた書きましょう。ただ、以前に書いた『水没の前に』と、『ルート181』『ダーウィンの悪夢』は、どこかで上映されることがあれば、ぜひご覧ください。オススメです。

それにしても、このところとんでもない、そして憂鬱な事件が続いてますねえ。マンションやホテルの構造偽装の問題は奥が深く、「日本の闇」という観があります。明日の証人喚問には何人が出てくるのでしょう。一応ビデオにとっておくつもりですが。
やりきれないのは、小学生が殺される事件です。どんなに怖く、苦しく、痛く、悲しかったことでしょう。そして、残されたご家族のご心痛はいかばかりかと、言葉もありません。

こういう暗い世相のまま、今年も暮れてゆくようです。私などは、あと20年か、長くて30年の命だと思いますが、その間にまた戦争が始まるのではないかと、マジで心配になります。それぐらい、今この国はヤバいことになっていると思うのです。
寒くなりました。せめて皆さん風邪などひかれませぬよう、お元気でこの年末をお過ごしください。

私のヤマガタ日記~その1~

徹夜で単行本の校正を仕上げ、7時半に出発。第9回「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(以下、ヤマガタ映画祭)を見に行くのだ。東京の出版社に校正を終えたゲラを送らねばならないが、それはお向かいさんに頼んだ。
伊丹空港、11時20分発のJAL2233便で山形へ。約1時間30分の空の旅だが、機中では離陸前から眠っていた。山形空港から山形市内までは、バスで約40分。どこも広々とした空間が印象的。
午後1時半、市内「七日町」で下車。目の前の山形中央公民館4階の事務局へ。映画関係者(シネ・ヌーヴォ)としてIDカードを作ってもらうためだ。これがあれば、どの上映会場へも無料で入れてもらえる。事務局長の矢野和之さんがいる。第1回のヤマガタ映画祭のとき(89年)、ボランティアとして活躍した高橋卓也君もいる。懐かしい。その高橋君にIDカードを作ってもらう。
午後2時、同じ中央公民館4階のホールで『パレード』(2002年、スイス、リオネル・バイアー監督)を見る。同性愛者のパレードを行なおうとする女性を、7カ月間追った作品。政治には無関心だった彼女が、さまざまな試練を乗り越えてゲイ・パレードの実現までこぎ着ける。彼女の成長物語になっていて、最後にはカタルシスもあるのだが、ディスカッションの場面が多く、単調な印象が残る。
続けて、『針間野』(2004年、ベルギー、田中綾監督)を見る。共産党員だったために田舎を追われた父、いまは都会の学校の教師として組合活動に力を注いでいる。その父を、娘が撮る。だが、「赤旗」を読み、たぶん日教組の活動家なのだろう父親を「共産主義者」と規定するところに違和感を感じてしまう。むしろ、現在はベルギーで暮らしているという田中綾監督自身の内面をこそ描くべきではなかったか。
続けて、YIDFFネットワーク企画上映の『住めば都』(2005年、フランス、カトリーヌ・カドゥ監督)を見る。YIDFFネットワークは、ヤマガタ映画祭では欠くことのできないボランティア組織で、第1回からさまざまな活動で映画祭を支えてきた。私自身、第1回と第2回の映画祭では「デイリー・ニュース」の編集デスクを務めたが、そのスタッフとして、慣れない取材・執筆にあたってくれたのが彼・彼女らだった。また、これが初監督作品となるカトリーヌさんには、フランス語の通訳として第1回からお世話になった。そういう関係だから、これは見なくてはならない。
カトリーヌさんが、日本での生活の拠点としている東京・木場。そこに暮らす人々を温かく見つめている。豆腐屋、畳職人、大工など、地道に仕事をしている人たちの表情や言葉がいい。町のシンボルともなっている赤い太鼓橋が、なんの変哲もない橋に架け替えられることになり、行政を動かしてなんとか太鼓橋のイメージを残そうとする住民たちも描かれる。そこからは、カトリーヌさんが木場という町とそこに住む人々にどれだけ愛着を感じているかが伝わってくる。ときとして、外国人のほうが日本の良さを知っていると思うことがあるが、その好例のような愛すべき一編だった。
さらに続けて、映画美学校2004年度ドキュメンタリーコース初等科修了作品『帰郷~小川紳介と過ごした日々~』(2005年、日本、大澤未来/岡本和樹監督)を見る。ヤマガタ映画祭の立ち上げに尽力した故・小川紳介監督(92年、55歳の若さで死去)。小川プロダクション(以下、小川プロ)を率い、三里塚で、山形県牧野(まぎの)で、数々の名作ドキュメンタリーを残した小川監督は、私にも忘れられない人である。前述した「デイリー・ニュース」に私を引っ張り込んだのも小川さんだし、私たちが大阪で発行していた「映画新聞」は、小川プロ応援紙のような側面を持っていた。天性のオルガナイザーで、小川さんの話を聞いていると、「こんなに映画を愛している人がいるだろうか。自分も何かお手伝いしたい!」という気持に自然となっていくのだった。
その小川プロで長く助監督を務められた飯塚俊男さんは、独立して着実にドキュメンタリーを撮り続けるかたわら、映画美学校の講師もしておられる。その教え子である大澤・岡本君が、飯塚さんや小川プロを山形に呼んだ木村迪夫(みちお)さんたちにインタビューし、自分たちの知らない小川さんや、『ニッポン国古屋敷村』『1000年刻みの日時計~牧野村物語~』などの作品をつくるなかで村中を映画に巻き込んでいったという「伝説」に迫ろうとする。
さまざまなアプローチがあっていいし、若い二人の監督が真摯に対象と向き合おうとしているのは分かるが、この映画は飯塚さんの小川紳介像に引きずられすぎていると思う。私たちのように外部から小川さんや小川プロと関わってきた者と違い、飯塚さんはその内部で苦労されてきた人だ。小川さんが亡くなってから13年、飯塚さんの捉え方も変化してきているようだが、まだ過渡期だという気がする。飯塚さんの、『1000年刻みの日時計』は種を残さない「あだ花」だったというような発言には、私は首肯することができない。
「映画作家」としての小川さんは、厳しく酷薄だったかもしれない。19歳で小川プロに飛び込んだ飯塚さんは、その巨大な映画作家の犠牲になったという思いがあるのか。映画づくりにはそういう残酷さがあるかもしれないと思う一方、小川プロで学んだことは、現在の飯塚さんの映画づくりにも脈々と受け継がれているのではないか、とも思うのだ。
『帰郷』の上映会場で出会った白石洋子さん(元・小川プロスタッフ、故・小川紳介夫人)とフォーラム5へ移動。ブックデザイナーの鈴木一誌(ひとし)さんも途中まで一緒。映画を見る目に信頼をおいている鈴木さんに、お勧めの映画を尋ねる。ヤマガタでは、この口コミ情報が大切なのだ。
午後8時20分から、鈴木さんをはじめ評価の高い『水没の前に』(2004年、中国、リ・イーファン/イェン・ユィ監督)を見る。これも口コミの効果か、立ち見が出るほどの盛況。
李白の詩で有名な(どんな詩か知らないが)四川省の奉節(フォンジエ)。この町が、世界最大の三峡ダム建設のために水没しようとしている。そこに暮らす人々は、感慨にひたっている余裕もなく、立ち退きにまつわる補償問題で血眼になっている。最初のほうで、青い大きなプラスチックの容器に魚を満載し、二人の青年が天秤棒でそれを運ぶ姿を後ろから追った長い長いカットがあるが、そこでもうこの映画にわしづかみにされてしまう。中国人のバイタリティーに圧倒される。
みんな金のことしか頭にない。教会のスタッフですら、少しでも金を残しておこうと、「二重帳簿を作れば?」などと言う。政府の方針も理不尽で、用意された移転先は決して現状より良くなることはない。かくして、みんな少しでも良い条件を得ようと必死になる。右往左往しているうちにも、水位は高くなり、町は破壊されてゆく。がれきの中から、鉄くずや家の扉を集める人々がいる(扉を集めてどうしようというのか、よく分からないが)。ともかく、どんな状況の中でも、人間は必死で生きようとし、活路を開こうとするものだなあという感動が生まれてくる。
やがて、町から人の姿が消えてゆく。人間の根源的な姿とともに、現代中国の一断面を見事に捉えた作品だと思った。上映後、監督の二人がスクリーン前に登場したが、その不敵な面構えに、「こういう顔でなくては、この映画は撮れまい」と納得した。
午後11時過ぎ、ようやく「和風ビジネスホテルさいとう」にチェックイン。昨日(9日)、6軒の宿に「満室です」と断られ、7軒目にしてやっと2泊とれたのだ。6畳の和室で、トイレ・風呂・洗面は共同。1泊4500円。しかし、寝られるだけで充分。その301号室で、コンビニで買ってきた弁当をかきこむ。伊丹空港でモーニングセットを食べて以来の食事だ。だが、ヤマガタの夜はまだ終わらない。
深夜12時、シネ・ヌーヴォの田井中君と待ち合わせて香味庵クラブ(以下、香味庵)へ。普段は和風レストランなのだが、店主のご厚意(?)で、映画祭期間中は午後10時から午前2時まで「交流の場」としてオープンしている。500円で、ドリンク(ビール、日本酒、ジュースなど)とおつまみ付き。店の外に人が溢れ出すほどの盛況。
田井中君と人ごみを縫うようにして中に入り、知り合いを探す。今回、プログラム「日本で生きるということ~境界からの視線~」の映写を担当している田中誠一君がいる。フィルムセンターの岡田秀則さんがいる。波多野哲朗先生、『ニュータウン物語』の本田孝義監督、『熊笹の遺言』の今田哲史監督の顔もある。わが友・景山理(さとし)も現れる。そんな人たちを相手に話していると、1時間があっという間に過ぎる。明日もあるので、1時すぎに宿へ戻り、風呂にも入らずにバタン・キュー。

聖と俗

小雨がそぼ降るなか、ヨーガ教室へ。先週も休んでしまった。このところ、「1回おき」が自分のペースみたいになってしまっている。せめて週1回の教室だけは休まずに通いたいのだが、忙しかったり、ずぼらの虫が出たりで、それもままならない。首の皮一枚で教室とつながっている、という感じだ。
雨にもかかわらず、体験受講者数人をふくめ、今夜も満杯状態。「ヨガがブーム」と今日の新聞にも出ていたが、まさにそれを実感させる。しかし、ヨーガとブームは、私の中では違和感があり、どうもしっくりこない。「ブーム」でやるようなもんじゃないだろう、という思いがあるのだ。

机に向かっている時間が長くなっているためか、腰が痛い。しかも腹筋がない(弱い)ため、脚を上げているポーズがつらい。脚を下ろすときも、ゆっくり行なわなければならないのだが、ドスンという感じで下ろしてしまう。われながら情けない。
情けないことが、もうひとつ。湿気に弱い私は、アーサナ(姿勢、ポーズ)中いつも大量に汗をかくのだが、その汗がタバコ臭いことに気付いたのだ。タバコを吸いはじめてから34年、がんリスクも相当に高まっていることだろう。そろそろ年貢の納め時(つまり禁煙すべき時期)かなと思う。何より、14、5人の受講生の中で、喫煙者は私だけだろうなあという思いが、後ろめたいものとなってのしかかってくる。
そんな気持でいたためか、瞑想も中途半端。半分眠っていたような感じで終わる。

だが、このヨーガ教室は私にとって、俗世間から隔離され、自分が少し浄化された気分になれる「聖なる空間」となっている。それは、指導してくださる3人の女性の印象に負うところが大きい。
まず、大阪クラスの責任者(?)Sさん。偉そうぶるでも、気負うでもなく、最初から気さくなお姉さん(もちろん私より年下だが)というイメージが変わらないのが凄い。しかし、ヨーガ歴10年のベテラン。志を高く持った求道者で、私のような俗人は時として「この人は恋に身を焦がしたりしないのだろうか」などと思ってしまう。
そして、Uさん。ふんわり、ほわっとした雰囲気の人で、いつ会っても癒される。私はこの人の声と、穏やかな話し方が好きだ。体験受講者や1回目・2回目の初心者を担当されることが多く、残念ながら直接指導してもらう機会はあまりないのだが。
最後にTさん。割合大きな声で、はっきりと指導されるので、最初は恐い人かなあと思っていたが、慣れてくるにしたがって、サッパリした性格で、強い精神力を持ち、本当はやさしい人なのだと分かってきた。

そんな人たちによって運営されている「聖なる空間」だが、それは実は俗世間と切れているものではなく、地続きでつながっている。その「聖なる空間」を、いかに実生活の中に拡大し活かしていけるかが、受講生それぞれの課題なのであろう。分かってはいるんですけどねえ。

忙中の閑

仕事が忙しくなると、事務所に泊まることが多くなる(家に帰るのが面倒くさくなって泊まる、ということも結構あるけれど)。ただ、事務所ではあまり眠れない。寝具もテキトーだし、どこかに「仮眠」という気持があるからかもしれない。それで、昼間、猛烈に眠くなることがある。仕事もはかどらない。
なんとか事務所でもグッスリ眠れないものだろうかと考えて、先日、寝る前に缶チューハイを買ってきた。寝酒にしようというわけである。だが、一気にあおったためか、寝床の中で心臓がバクバクして、どうかなってしまうのでは、と思ったほど。そのときの体調もあったのかもしれないが、翌日は下痢に悩まされ、どうも缶チューハイとは相性が悪い、と勝手に決めつけてしまった。しかし、確かによく眠れた。
で、昨夜は缶ビールにしてみた。350mlの小さいやつで充分なのだから、発泡酒などでなく麦芽100%の純粋なビールにした。こういうときは「下戸」でよかったなと思う。

かくして、5時間ほど爆睡し、6時に起きて淀川堤防を散歩。これはもう、事務所で早起きしたときの恒例になっている。まぶしい朝日の中を40分ほども歩いていると、秋とはいえ汗びっしょりになる。おなじみの「工学博士沖野忠雄君之像」(大阪の治水工事に尽力した博士)にあいさつして、これもおなじみの喫茶店「らぶ・わん」へ。
この好ましい喫茶店のマスターと話したことはまだないが、いつも汗を拭きながら店に入ってくる私を、「ヘンな客」と思っているかもしれない。新聞は数紙置いてあるが、スポーツ紙が多く、一般紙は読売だけなのがちょっと困る。スポーツ紙だと、私には読むところがないからだ。しかし、そのあたりも「学習」したから、スポーツ紙しか残っていないときのために、尻ポケットに文庫本をしのばせていく。
今日持っていったのは、『ゴーリキー・パーク』(マーティン・クルーズ・スミス著/中野圭二訳/ハヤカワ文庫)だ。ソ連人民警察殺人担当主任捜査官アルカージ・レンコが、KGBと警察という複雑な官僚組織の中で、不屈の正義感と精神力をもって難しい殺人事件とその背後にあるさらに巨大な犯罪をあばいていくという物語。レンコ捜査官がいい味を出しているのだが、ロシア人の名前って、どうしてこう覚えにくいのか、何度読んでも半分ぐらいしか理解できた気分にならず、また読んでしまう。しかし今回も事情は同じで、今度挑戦するときはメモでも取りながら読むしかないな、と思っているところ。
だが、今朝は読売が残っていたので、それを読む。日曜日は書評欄「本よみうり堂」があるので楽しい。読んでみたくなる本が2、3冊あるが、「たぶん買わないだろうなあ」と思いながら読んでいる。そこで30~40分。休憩にしては長すぎる気がしないでもないが、その喫茶店があるから散歩に出ているようなものなので、まあ仕方がない。

帰りは、堤防には上がらず、幹線道路から1本か2本内に入った裏道をたどって戻ってくる。住宅の前に並べられたプランターの花を眺めたり、ここにこんな店があったのか、この会社は何をしているのだろう、などと、それはそれで面白い。
約2時間の散歩のあとは、事務所でシャワーを浴びる。それでも9時には仕事が始められるのだ。なかなかオツな習慣だと自分では思っているのだが。

阪神は優勝したけれど

夜9時、午後からカンヅメになっていた出張校正を終えて外に出てみると、なんだか街中が騒然としている。パトカーの赤いランプが光り、遠くで男たちの騒ぐ声がする。どうやら、阪神が優勝したらしいと気付く。私も一応阪神ファンだが、なぜか今年はあまり嬉しい気持になれない。そんな騒ぎのほうへ行こうとも思わない。
恐ろしい気がするのだ。先日来の不気味な「無差別銃撃」が頭にあるからだろうか。そういえば、1週間ほど前、白いセダンが黒いタクシーを追って、事務所の近くを走り回っていたのを目撃した。何があったのか、タクシーは狭い道を逃げ回っていた。「危ないなあ。事故起こすなよ」と思ってテールランプを見送ったら、急に2台が目の前に飛び出してきたりした。危ないのは、こっちのほうだ。
世の中が殺伐としている。騒音問題が原因だったのか、昨日は横浜で大学生が刺し殺された。根室沖では、漁船が当て逃げ(?)され、数人の方が亡くなっている。今夜私も、あの騒ぎは何だろうと、背の高い男の背後から遠くを覗き見るようにしていたら、男が振り向いて険しい目でジロッとにらまれた。まるで『八百万の死にざま』の世界だ。
そういうことのためかどうか、夜の街を歩いていると、どすんと悲しくなってしまった。悲しくなると、「俺はいったい何をしているんだ」と考えてしまう。自分が小さな、取るに足りない存在に思えてくるのだ。良くない傾向だ。
ここ数日、急に忙しくなってきたことも影響しているのか。ズボラな私が、「忙しいのはイヤだよ~」と内面で叫んでいるだけなのかもしれない。

『四月の雪』を擁護する

Nさんと待ち合わせて『四月の雪』(2005年、ホ・ジノ監督)を見る。韓国や台湾での不入りが伝えられ、私の周りでも評判はあまり良くないのだが、私は悪くないと思った。
まず、ぺ・ヨンジュン(インス)とソン・イェジン(ソヨン)の力演がある。ぺ・ヨンジュンはテレビの「冬のソナタ」(2002年)で有名になりすぎ、そのイメージから脱却するのに苦労しているようだが、前作の『スキャンダル』(2003年)といい、この作品といい、誠実に演技と取り組んでいるのが分かる。
ぺ・ヨンジュンの抑えた演技があるため、ソン・イェジンの体当たりの演技が光る。
ストーリーはよく知られているいるだろうから書かないが、実際にはあり得ないような話で、だが小説や映画には「ありがち」なお話。なぜそんなストーリーにしたのかは知らないが、いわばそのマイナスからのスタートを、観客にどう納得させるかが勝負になる作品だろう。
その点で大きく貢献しているのが、彼・彼女らの生活の場であるソウルから遠く離れた場所(ロケ地は東海岸のサムチョク)を舞台にしたことだ。交通事故を起こした互いの配偶者が入院している病院、インスとソヨンが看病のために滞在するモーテル、二人が距離を縮める食堂や喫茶店、それらが「非日常」の場として機能している。
また、交通事故の犠牲者となった青年の葬儀に出向くため、さらに郊外の村に二人でドライブする(これも実際にはあり得ないと思うが)シーンも重要だ。犠牲者の家族に責められることで、二人は、二人だけにしか分からない哀しみを共有することになるのだから。
その郊外の道路脇にうずくまってソヨンが泣き崩れるシーン、あるいは二人が窓越しに相手を見る多くのシーン、それらはみな、互いの距離を表しているのだ。ひそかに近づいたり、もう触れられないと思えるほど離れたり。うまい演出だと思う。
この物語が「不倫」か「ロマンス」か、それはどうでもいい。ただ、二人の前途が険しいものであろうことはラストの言葉にも明らかだ。私は、人が人を想うことは止められない、と思うばかりだ。

気になったことをふたつばかり。
映画の前半、インス(ぺ・ヨンジュン)が顔を洗っていると、自分の鼻血に気づくシーンがある。こういうのは普通、不治の病の伏線だろうと思うのだが、その後は一切そういうことは描かれない。だから、単に興奮していただけなのか、ラストシーンのあとにそんな悲劇が待っているということなのか、未だに分からないのである。
もうひとつ、これは好みの問題であろうが、ぺ・ヨンジュンは肉体を鍛え過ぎなのではないだろうか。ボディービルダーまでもう一歩という感じで、「なにもそこまでしなくても」と、彼の生真面目さが裏目に出ているように感じた。コンサート会場の照明監督という設定だから、ある程度は筋肉質なのはいいとしても、あんなにマッチョである必要はあるまい。また、けっこう日焼けしているのも気になった。仕事、仕事で妻を構ってやれなかった男なのだから、海水浴に行くヒマもなかったはずだと思うのだが。

過去に向かう思い

前の「日記」から、また1週間が過ぎた。ちょっと忙しい日々で、書けなかったのだが、ここで一挙に挽回してしまおう。

9月16日(金)
孫(男子)の満1歳の誕生日。京都市伏見区に新築なった息子の家へ初めて行く。何年ローンだか知らないが、狭いながらも3階建ての立派な新居で、息子ながら大したものだと思う。嫁さんがしっかりしてるのか。
息子夫婦と孫、同居している息子の母(私の元妻)、元妻のご両親も参加しての誕生パーティーだ。おかしな組み合わせだが、わだかまりなく話せるのがありがたい。
主人公は風邪気味とのことだったが、笑顔を見せて大人たちと遊んでくれた。

9月17日(土)
朝からシネ・ヌーヴォで、山中貞雄の『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』(1935年)を見る。今年の「山中忌」(9月18日)には参加できないので、個人的に山中監督を偲ぼうというわけ。遺作となった『人情紙風船』に比べ、ずいぶん印象が明るい。「喜代三」姉さんがいいねえ。だが、チラシにある「2004年発見【幻の場面】(クライマックスでの大河内伝次郎の立廻り)」のシーンがない! ほんの十数秒のシーンなのだが、「あれっ?」と思った。あとで映写のS君に訊いてみると、フィルムが届いたばかりで、チェックする間もなく上映したら、入ってなかったのだという。配給側のミスだが、急遽「お詫び」の張り紙を出すことに。

午後、九条商店街の喫茶店で、大学時代の同級生TさんとYさんに会う。なんと、三十数年ぶりの再会。私のホームページをTさんが見つけて、メールで交流のあったYさんを誘って来てくれたという展開。インターネット時代を実感する出来事だ。メールでは何度もやりとりしていて、いずれ本当に同窓会をやろうという話になり、その第一回の打ち合わせの会でもある。学生のころはあまり話したこともなかったのに、不思議と緊張せずに話せた。同級生とは、そういうものか。
同窓会に向けての段取りも決め、ひとしきりおしゃべりしてから、シネ・ヌーヴォ周辺をご案内する。そして、2時45分から成瀬巳喜男の『ひき逃げ』(1966年)を3人並んで見る。成瀬作品にしてはやや物足りないが、この映画を3人で見たことは忘れないだろう。
お二人は、阪神×ヤクルト戦のチケットが手に入ったとかで、映画を見てから急いで甲子園に向かわれた。
この日のことを、Yさんが早速ご自分のホームページ(http://pink.ap.teacup.com/miyochan2/)に書いてくださっている。シネ・ヌーヴォの写真まで入っていて、さすが。

私は引き続きヌーヴォで『流れる』(1956年)を見た。かつては隆盛を極めたのに、商売が下手なのか時代の趨勢なのか、寂れていく一方の芸者置き屋を描いて、これはもう成瀬の真骨頂。出ている女優陣もすごい。山田五十鈴、高峰秀子、田中絹代、杉村春子、岡田茉莉子などなど。まさに日本映画の「黄金時代」だ。ただ、私の偏見あるいは先入観なのか、終始人のいい「お手伝いさん」を演じている田中絹代が、どこかで裏切るのではないかと、最後まで安心できなかった。

9月18日(日)
横浜で母の七回忌法要。前夜に叔母(父の弟の妻)が、当日の朝に息子夫婦が、風邪で参加できなくなったと連絡があり、寂しい会となった。参加者は、叔母2人(父の妹と母の妹)、従姉妹(父の弟の娘)、それに私。法要のあとは、恒例となっている横浜中華街での会食。お寺の住職もお誘いして「順海閣本館」へ。あまりヘビーでない中華で、ここ数年はこの店にしている。父の七回忌も母の七回忌も無事に終え、不肖の息子としてはよくやったといえるだろう。いっぽうで、「法事なんて虚礼だ」と突っ張っていたころの自分が懐かしくもある。

夜、従姉妹を誘って笹野みちるさんのライブを見に吉祥寺へ行く。奇しくも、この日が『吉祥寺三姉妹』のラストライブなのだった。笹野さんの文章は読んできたが、その歌を聴くのは初めて。はじめは、娘の学芸会を見に来た父親のような心境だったが、やがて「笹野さん、すごい。プロだねえ。カッコいいぞ」という気持になっていた。まっすぐに届いてくる歌、上手な楽器の演奏(ギターあり、ドラムあり)、観客を引きつける話術。いずれにも感心した。この人は、やはり一流の「表現者」である。
『吉祥寺三姉妹』は、実力のあるコミックバンドという感じだったが、なぜ解散することになったのかは知らない。今度笹野さんに会ったら、じっくりと問い詰めてみることにしよう。
10時に終わったので、笹野さんと握手してすぐ帰る。中野の叔母の家に泊めてもらった。

9月19日(月)
11時、東急東横線・日吉駅前でN氏と会う。N氏は、私が東京で働いていたころの同僚。もう25年も前のことだ。昨年、私が入院・手術したことは習作「入退院の記」に書いたが、今年はN氏が大病をした。そのお見舞いを兼ねての訪問。
午後、都営新宿線・曙橋駅近くの山形国際ドキュメンタリー映画祭東京事務局を訪ねる。10月7日から始まる今年の映画祭に向けて、徹夜が続いているころだろうと思い、陣中見舞い。事務局長の矢野さんとも、もう16、7年の付き合いになる。いつ会っても変わらない人だ。
夕方、調布の修道院におられる恩師に電話してみるが、不在。会わずに帰る。午後8時過ぎに京都駅着。両親がよく利用していたそば屋で、天ざるを食べてから帰宅。

9月20日(火)
夜、梅田ピカデリーのX13席で『SHINOBI』(2005年、下山天監督)を見る。仲間由紀恵、オダギリジョーという、まさに旬の美男美女コンビだが、こちらの胸に響いてくるものがない。テンポは良い。映像も凝っている。だが、どこか薄っぺらなのだ。

9月21日(水)
出張校正5時間のあと、ヨーガ教室へ。ほんの少しだが、自分で進歩が感じられる。来週までには、自宅でアーサナをやっておこう。いつもそう思うのではあるが。