ヨーガ・イベントと喫茶店 | ケセラセラ通信日記

ヨーガ・イベントと喫茶店

午後3時前に京阪三条着。祇園祭・山鉾巡行の当日とあって、相当な人出を覚悟していたが、それほどでもなし。あとで聞いた話では、山鉾巡行は午後には終わっていたらしい。
実は、6月半ばからヨーガ教室に通い始めていて、今日はその団体が主催するヨーガ・イベントがあるのだ。会場の京都文化博物館へ急ぎ足で向かう。3時には到着。3時半開場・4時開演と聞いていたので、まずチケットだけでも買っておこうと受付へ。すると、「もう開場しています」と言われる。そのまま入ってしまおうかとも思ったが、なにしろ暑い。少し涼んでからと、喫茶店を探しに出る。喫茶店(カフェと言わないのが中年の矜持)探しは得意だ。嗅覚が働くとでもいうか。ほどなく「MAEDA COFFEE」を発見。カウンターとテーブルが2つだけのこぢんまりした店だったが、アイスコーヒーはうまかった。
3時半には京博へ戻り、入場。《定員300名》とチラシにあったが、すでに100人以上の人々がリノリウムの床に靴を脱いで座り込んでいる。さて、自分はどこに座ろうかと会場を見回していると、Nさんが声をかけてくれた。私にそのヨーガ教室の存在を教えてくれた人である。私は大阪クラス、彼女は京都クラスなのだが。「やあやあ」と、Nさんの隣に座らせてもらう。
4時の開演までにさらに観客は増え、最終的には250人ぐらいにはなっていたのではないか。『アムリタ(不死)』と題されたイベントは三部構成になっていて、第一部が『ナチケータスの魂の旅』というタイトルの演劇、第二部がヨーガの実演、第三部が解説と質疑応答となっている。
4時に演劇が始まる。大阪クラスで私を指導してくれているSさんも出演しているから、団体の幹部たちによる集団劇なのだろう。内容は、純粋な青年ナチケータスが、黄泉の国でヤマ神(閻魔大王)に出会い、「人は死ぬとどうなるのか」を問うというもの。まさに哲学の核心部分だが、音響設備の問題か会場空間の問題かは知らず、演者たちの声が聞き取りにくく、残念ながらあまり理解できなかった。しかも、30分ほどで終わってしまった。
次は、アメリカ青年によるヨーガの実演。ヨーガで行なう様々な形やポーズは「アーサナ」と総称されるが、この青年のアーサナは凄かった。よくあんなポーズが作れるなと思うほどアクロバチックな肉体の形が次々と披露される。だが、その動きは緩やかで、精神的にも非常に安定していることが見ているだけで分かる。これも30分静かに続いたが、会場はざわつくことなく、観客も集中して見ていたと言える。あとの解説で、司会者が「いいプラーナ(気)が会場を満たしていました」と言っていたが、それもあながち誇張ではない。
私はといえば、青年の体の美しさに見惚れていた。それはボクサーの美しさとも、水泳選手の美しさとも違う。一見すると痩せ過ぎに見えるのだが、必要な筋肉はついており、しかも柔軟なのだ。私はいったい何年ヨーガをやればああいう体になれるのだろうかと、わが太鼓腹をさすりながらうなだれるのであった。
最後が解説と質疑応答で、これが1時間。最初の質問者が、「僕の頭が悪いのかもしれませんが、結局人間は死ぬとどうなるのですか」と発言したとき、思わず拍手したくなったが、それに対する回答も要領を得ないものであった。ま、1時間や2時間で人生の「真理」が分かるはずもなく、それは自分で本を読むなり、ヨーガの実践をしていくなかで掴み取るしかないものなのであろう。また、永いながい修行の果てにたどりついた悟りが、そう簡単に言葉にできぬものであろうことも推し量られ、解説が「要領を得ぬ」のもむべなるかな、というところだ。
それにしても、会場を埋める250人前後の人々が、すべてヨーガの実践者なのかと思いきや、そうでもないらしく、だとすれば、この真剣さは何なのだろうと不思議な気がした。スピリチュアルなものへの希求が、この時代にふつふつと湧き上がってきているのだろうか。
さまざまなことを感じ、考えさせてくれた2時間で、これで3000円は、私にとっては妥当な入場料であった。さて、しびれた脚を伸ばし、帰ろうとしていると、私の師匠である先述のSさんが、「紹介したい人がいるから」と、ふたたび会場へ連れ戻してくれた。そこには、ヨーガ教室全体の主宰者が座っておられた。写真でしか見たことがなく、日本人なのに、あのオウム真理教を連想させるようなホーリーネームというのか、胡散臭い(失礼!)カタカナ名前なので、「大丈夫かなあ」と思っていたのだが、実際にお目にかかってみると、仙人のような人であった。とはいえ、二言三言ことばを交わしたのみで、新参者の私はひたすら畏まっていただけなのだが。しかし、「信頼できる人のようだ」という印象を持てただけでも、大収穫であった。

京都クラスのNさんとも別れ、私は近くの「イノダコーヒ」(コーヒーではなくコーヒ)の本店へ向かった。学生時代によく行った店で、込んでいてもあまり周りが気にならない。1999年、火事に遭ってしばらく休業していたが、翌年リニューアルオープンした。座席数が増え、内装もきれいになったが、私のようなオールドファンには、やはり昔のたたずまいが懐かしい。この店では、いつも「ロールパンセット」を頼む。ロールパンに海老フライが挟まっていて、キャベツとポテトのサラダが付いている。もちろんコーヒーもうまい。ここで30分ほど休憩してから京阪三条へ向かった。
ちょうど7時ごろで、空がいい景色を見せている。このまま京都を去るのがもったいなく、京阪電車の終点・出町柳まで歩くことにした。新しい靴を足に馴染ませたい、出町柳から乗車すれば確実に座れる、という思いもあった。
鴨川の河川敷は、いつ歩いても気分のいい場所だ。カップルが土手に座っている。一人でサックスの練習をしている青年がいる。ベンチで寝ているおっさんがいる。本当はいけないのかもしれないが、10人ほどの学生グループがバーベキュー・パーティーをしている。実に楽しそうだ。川の中に設置された飛び石に腰掛け、足をせせらぎに浸して上流を見つめている少女がいた。失恋でもしたのだろうか、それとも眺望の美しさに我を忘れているのだろうか。今度、私もやってみよう。
ひたすら歩くこと30分。明るかった空は、もうすっかり夜の色だ。出町柳駅の明かりも見えてきた。しかし、この汗! またどこかでひと休みしよう。出町柳駅の近くに、名曲喫茶(懐かしい響きだ)があったはず。日曜日だからお休みかなあ。でも、ありました。店名は「柳月堂」。狭い階段を2階に上がる。広いフロアにお客は3人だけ。正面にどでかいスピーカーが据えられている。大音量でかかっているのは、ドボルザークか。あちこちに注意書きのメモが張ってある。曰く、この席は「何もしない」人専用、電子音のするライターは駄目、ZIPPOなども音がしないように使え、等々。要するに「静かに」ということだが、その徹底ぶりが面白い。
イノダコーヒのロールパンだけでは物足りず、ここではコーヒーとミックスサンドを小声で注文。見慣れない客と思われたか、「あの、テーブルチャージを別に500円いただきますけど」と、きれいなお嬢さんが申し訳なさそうにおっしゃる。合計1850円だが、そこは鷹揚に「いいですよ」と答える。だが、このミックスサンドが絶品だった。1階が同じ店名のパン屋さんで、どうやら自家製パンを使っているらしいのだ。帰り際に、1階でパンを買って帰ろうかと思ったが、その誘惑はなんとか抑え込んだ。
かくして、ヨーガ・イベントと喫茶店の日曜が終わろうとしていた。

追記:長らく空き家にしてきたメインサイト『ケセラセラ通信』の「習作」に、ようやく第一弾を載せました。かなりキワドイ内容ですが、そこからの「脱却宣言」のつもりで書きました。左欄の「ブックマーク」から『ケセラセラ通信』をクリックしてお読みください。