ケセラセラ通信日記 -43ページ目

生まれ変わるのは難しい

ほぼ1週間ぶりの日記。この間、ヨーガ教室に2回(13日と18日)行き、「第1回 おおさかシネマフェスティバル」のパンフレット(B5判/8ページ)の原稿作り、ヨーガ教室の機関誌の校正(ボランティア)などをした。
1月17日は阪神・淡路大震災から11年目の日、18日は私の誕生日、今日19日は父の命日(1997年、享年76)である。
13日のヨーガ教室では、最近ようやく自宅でもアーサナ(もう説明は不要だろう)をやり始めたので、いろいろと分からないことが出てきて、指導者を質問ぜめにする。18日は質問することがなく、苦しまぎれに「実は、今日が誕生日なんです」と言うと、10人ほどいた人たちが一斉に「ハッピーバースデー」(?)を歌ってくれて、嬉しいやら恥ずかしいやら。しかも、その10人ほどの中に、もう一人同じ誕生日の方がおられて、みんなビックリ。もう一度「ハッピーバースデー」を合唱することになった。
「おおさかシネマフェスティバル」パンフレットの原稿は、15日か16日には入稿すると事務局に伝えてあり、14日(土)も15日(日)も事務所に出てきたが、ほとんどはかどらず、結局16日の早朝から17日の昼にかけて一睡もせずに仕上げ、その間、数ページずつ3回に分けて入稿するというありさま。年があらたまっても、尻に火がつかないと物事を始められないという悪癖は、まったく直っていないようだ。
正月に失敗した禁煙も、誕生日はもうひとつのチャンスだと、朝起きての一服だけは我慢したが、朝食後にはもう吸っていた。われながら、情けない。
今日も今日とて、叔母にうながされて仏壇に向かう始末。亡き父もあきれていることだろう。思い出すのは、父の葬儀の日(21日か22日だったと思う)のことで、朝起きたらすごい雪。10センチぐらいは積もっていて、電車も止まっている。タクシーも出払っている。どのようにして葬儀場まで行ったのかも定かには思い出せないが、そのうち電車も動きだし、会葬者もたくさん来てくださったのだった。あのときも「親父らしいや」と思ったものだが、今日も雪がチラチラしているのは、薄情な息子を怒ってのことかもしれない。
こんなダメ人間の私、ヨーガを深めていくことで、生まれ変わることができるだろうか。

来週まで更新できません

いやー、なんかバタバタしてきまして、来週までこの日記を書けそうもありません。
でも、ゆうべは自宅でヨーガ・アーサナと瞑想をやりました。この調子で習慣化できればいいのですが。
ところで、今日は13日の金曜日。皆さんお気をつけてお過ごしください。では、また。

人と人の間に

1月5日(木) 深夜、パソコンの電源を切ろうとしたら、K先生からメール。「おとといから、話したくて、話したくて」とある。何事かと思って読むと、私と同じ病気になったという内容。ちょうど2年前の1月末、私はある病気で緊急入院・緊急手術という体験をしたのだが(詳しくはメインサイト『ケセラセラ通信』習作欄の「入退院の記」参照)、それと同じ病気だと診断されたそうだ。だがK先生の場合、緊急性はないらしく、手術は春休みにするという。ふーん、同じ病気でもいろいろなんですねと思う。
私のときは、あれこれ考える余裕もなく、その日のうちに手術されてしまったのだが、3カ月先に身体にメスを入れられると分かっているのは、それはそれでしんどいことだろう。特にK先生は最近血圧が高いそうだしーー事実、2日に異変に気付き、4日に診断してもらうまでの間、血圧が急上昇したというーー、デリケート(?)でもあられるので、ご本人も周りの人たちも気が気ではあるまい。とはいえ私の素人判断では、K先生の手術は盲腸の手術程度のもので、たいしたことはないと思う。まあ、これから3カ月、「どうです、体にメスを入れられるお気持は?」「麻酔が切れてくるとね、猛烈な痛みが襲ってきますよ」などとK先生をいたぶる楽しみが増えたというもの。でも、あまり脅かすと血圧に影響しそうなので、そのサジ加減が難しい。
K先生、雑音に惑わされず、くれぐれもお大事に。

6日(金) 今年最初のヨーガ教室。寒さのせいか、受講生は3人だけ。指導者3人に、アーサナ(姿勢、ポーズ)の模範演技で有名なN氏も参加されての贅沢な会となる。ほぼ2週間ぶりに会う指導者Sさんから、「お休みの間、家でアーサナはされていましたか」と、いちばん痛いところを突かれる。たぶん、年賀状に《仕事にヨガに精進してまいりますので》と書いたためだろう。一瞬、嘘をつこうかと思ったが、「すいません、食っちゃ寝、食っちゃ寝ばかりで、やっていません」と正直に答える。
久しぶりのアーサナは、体がなまっていることを痛感させ、瞑想もボロボロ。しかし、この教室にいる2時間が、私にとって最も穏やかで、心休まるひとときになっているのは何故だろう。答えはほぼ分かっているのだが、それを書くとクサくなるので、やめておく。
最後に、Sさんから「何か質問は?」と、いつもの問いかけ。最近ずっと悩んでいることがあって、喉まで出かかったが、それを言うと身の上相談みたいになってしまうので、ぐっと我慢。思わせぶりなようだが、自分で解決するしか仕方のないことで、それを他者に言うのは「甘え」でしかない、という判断もあった。ただ、人と人の間に自分があり、自分の像もその中で定まってくる、というようなことを最近よく思う。

8日(日) 久しぶりの晴天。11時ごろに起きたこともあって、事務所に出る予定を変更し、家に居ることにする。何年も手入れしたことのない石油ストーブを掃除。しかしファンヒーターだから、肝心の燃焼部分には手がつけられず。
午後2時、叔母を連れて近くに出来たそば屋へ。都心から約1時間の郊外で、ろくな店はない所なのだが、どうやら本格的なそば屋の出現である。叔母はにしんそば、私は鴨なんそばを注文。出てくるまで約20分。その間、メニューを精読したり、そのそば屋が紹介されている雑誌を見たりして過ごす。お酒の飲める人なら、板わさに日本酒というところだろう。その日本酒や焼酎にもこだわっていることが、メニューからうかがえる。出てきたそばは、すごく細い。滅茶苦茶うまいとも思わなかったが、決してまずくはない。そうしたものだろう。接待の多い仕事柄、一流といわれる料亭にもときどき行っていた亡父が、「びっくりするほどうまい、というほどでもないよ」と言っていたのを思い出した。まあ、つぶれずに頑張ってほしいものだ。
食後、叔母はスーパーへ。私は散歩がてら、隣の駅前にある100円ショップへ。目につくものをいろいろ買っても1000円いかないのだから、楽しいし得した気分。
帰ってきて、2階の自室とトイレを掃除。大阪へ来たら「おさんどん」をしてくれる叔母だが、絶対に2階へは上がってこないのだ。その気遣いがありがたい。そういう叔母の手前、こちらもたまには掃除でもしなくちゃという気分になる。昨年秋に校正させてもらった山本健治著『ホウキとヤルキ』(三五館)に書いてあったごとく、便器に手を突っ込んで洗う。やればできるんだよねえ俺。
7時半から夕食と風呂。2~3時間あけて、きれいになった自室でヨーガ・アーサナを1時間半。教室でやるときより、すべてのアーサナが短くなってしまう。緊張感が足りないのだろう。瞑想もやってみたが、雑念多く、10分ほどで断念。それでも、自宅できちんとアーサナをやったのは初めてで、私にとっては記念すべき日となった。そのまま就寝。

どこへ行くのか

皆様、明けましておめでとうございます。
と書いてはみるものの、めでたいという気分はまるでなし。このところの寒い、スッキリしない天気のためか、はたまた新年だとて代わり映えせぬ我が身のゆえか。まあここ数日の行状を書いておこう。

1月1日(日) 叔母と雑煮・おせちを食べ、近所の神社に初詣。雲一つない快晴。青空が眼にしみる。昼ごろ、息子夫婦が孫を連れてやってくる。孫(男の子)は1歳と3カ月。まあよく食べる。ミカン1個を平らげ、イチゴもぺろり。人が何か食べていると、それをよこせとばかりに指差すので、彼の目の前から食べ物を撤収。もうすぐ話すようになるだろう。
午後、叔母に留守番をしてもらい、息子夫婦たちと親戚の家へ。てっちりをご馳走になる。よく人の集まる家で、思わぬ人たちとも再会。にぎやかな新年会となる。
午後9時ごろに帰宅すると、叔母は一人で南禅寺へ行ってきたという。東京の人で、京都の地理も不案内だったろうに。申し訳なし。

2日(月)・3日(火) 終日自宅。仕事を持って帰っていたが、結局手を付けず、面白くもないテレビを見続ける。ひそかに計画していた禁煙もできず。新年早々、自己嫌悪。

4日(水) 一応初出勤。年賀状の整理をする。こちらが出していない人からもけっこう来ていて、悩ましい。悩ましいといえば、差出人がさっぱり分からないものが1枚あって、ずっと心にひっかかっている。「メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデの朝」とキャプションの付いたカラー写真。道端でおばさんが手持ち無沙汰に野菜を売っている図。おばさんのつまらなそうな表情と新鮮な野菜が好対照の、いい写真なのだが、撮影者の名前もない。表を見ると、当方の住所・氏名は間違いなく、きっちりときれいな字で書かれているが、差出人の欄は真っ白。男性か女性かも分からない。いったいどなたなんでしょうねえ。
大義名分がはっきりしない市町村合併のため、住居表示が変更になっているものも散見される。住所録も書き換えねばならないわけで、まったく余計なことをやってくれるよ。
ずるずると事務所にいて、帰宅は11時過ぎ。夜中の2時ごろからテレビで韓国映画『殺人の追憶』を放映していて、「なんで吹き替えにするかなあ。コマーシャルが多い、長い」と思いつつ最後まで見てしまう。で、就寝5時。相変わらずだなあ俺。

5日(木) 9時半、叔母に起こされるが起きられず、11時に起床。午後から事務所に出て、年賀状の整理を続ける。無精なくせに、ヘンなところは几帳面だから、整理にも時間がかかる。「今年は年賀状を1枚も出しませんでしたので、メールでご挨拶を」と送信してきた人もあり、「年賀状をくださった人には、あとで寒中見舞いを出します」と言っていた人もいる。来年は私もそうしようかなあ。ともあれ、今日は9時には帰るぞ。

理不尽な死

朝、仕事仲間との電話で不愉快な思い。この大晦日に、それだけは避けたいと思っていたのだが。

しかも、どんよりと曇った寒い日で、一日中気分が晴れず。


11時から事務所で年賀状の宛て名書き。きのう60枚、今日90枚を書き、午後8時に大阪中央郵便局で投函。事務所近くのポストに入れるより、少しは早く着くような気がして。


今日で2005年も終わるが、今年は理不尽な死で始まり、理不尽な死で終わるという印象が強い。JR福知山線の脱線事故での107人、広島と栃木で殺された幼い女の子、宇治の学習塾の少女、JR羽越線の脱線事故での5人、泥湯温泉の硫化水素ガスで亡くなった4人。これにアスベストの被害を加えてもいいだろう。実態がつかめていないだけ、余計に理不尽だと思う。

亡くなった方たちの冥福を祈ると言っても、言葉だけが上滑りしていくようだ。どうすればいいのか分からないが、せめてその人たちの無念さを思いつつ年を越そうか。

来年は良い年でありますように。

忘年会、忘年会、年賀状

27日(火) 今年最後の「おおさかシネマフェスティバル」実行委員会。いよいよ、映画祭(2006年2月3~5日、大阪市立鶴見区民センター)で配るパンフレットを作ることが決定。しかし予算が少ないので、墨一色になりそう。編集は私が担当するが、編集費は出るのかなあ。
そのことも含め、すべてが遅れている。宣伝、連絡、予算見直し、決定などなど。正月休みを除けば、準備期間はもう1カ月もない。来年の1月も忙しくなりそうだ。新年最初の実行委員会は1月10日と決まる。
会議終わって、実行委員3人と中華で忘年会。ベストテンに入った『エレニの旅』『メゾン・ド・ヒミコ』の話など。私はどちらも見ていず、肩身が狭い。映画祭までにはビデオかDVDで見ておこうっと。

28日(水) 今年最後の「シネ・ヌーヴォ」運営委員会。特集上映「成瀬巳喜男の藝術」は大入りだったが、その他の特集上映はまあま。ロードショー作品は惨敗で、結果、観客動員数も過去最低。来年2月末の株主総会が思いやられる。今後は、特集上映の強化、シネ・ヌーヴォのカラー(市民運動系、マイナーな芸術系などが妙に強い)に合ったロードショー作品を厳選していくべきか。しかし来年のラインアップは期待できそう、という結論で会議終わる。確か、去年もそんなことを言っていたと思うのだが。
午後4時半から、シネ・ヌーヴォ近くの「小川下(こかげ)」で忘年会。オブザーバーやスタッフも参加し、にぎやかな会となる。いつも思うことだが、シネ・ヌーヴォを支えてくれている人々の多様さ、善意、才能が、われわれの財産だ。二次会はいつもの居酒屋「城(しろ)」で。メンバーの高齢化(?)を反映してか、今年は二次会だけでお開きとなる。

29日(木) ようやく年賀状作りにとりかかる。意匠をダウンロードし(これに一苦労)、文章もワードで作るなど、すべてパソコンで済ませられるのはありがたいが、プリントアウトにけっこう時間がかかるし、プリンターの不具合やハガキの天地を逆にセットするなどのミスのため、5枚を無駄にする。結局、全部印刷し終わるのに夜の10時までかかり、事務所泊まりとなる。26日から東京の叔母が自宅に来てくれているのに、申し訳なし。

30日(金) 喫茶店でモーニング・コ—ヒー。きのう印刷ミスした年賀状を取り替えてもらおうと、9時半に近くの郵便局へ行くが、開くのは10時からだと! ごり押しの民営化が実現されたら、せめて9時から開けて、土・日も営業してほしいものだ。仕方なく中央郵便局まで歩く。1枚5円で取り替えてくれる。これにはちょっと得した気分。ゲンキンだなあ。
これから年賀状の宛名書き。せめて宛名ぐらいは自筆で書きたいので。それも明日には終わるだろうが、なんでもギリギリにならなければ取りかからないという悪癖は、今年も克服できなかったなあ。

本をつくるということ

朝日放送のAさんと、出版打ち合わせを兼ねた会食。アンコウ鍋をご馳走になる。
「お目にかかるのは3年ぶりですね」と言われ、驚く。あとで名刺箱をひっくり返してみたら、まさに3年前の10月、ある人の紹介で会っていた。そのとき「いま、こんな本を出したいと思っているのですが」と相談され、以来、ずっとメールで原稿についての感想やアドバイスを書き送ってきた。その甲斐あって(?)、Aさんは忙しい仕事の中、丸3年をかけて本1冊分の原稿を書き上げられたのだ。
脱稿されたのは今年の10月。出版打ち合わせが年末になってしまったのは、私の多忙のせい。「早くに原稿をいただいていたのに、(打ち合わせが)遅くなってすいません」と謝ったが、Aさんは「いやいや」と応えられる。内心、「ここらでハッパをかけておかなければ、いつ本になることやら」と思っておられたのではないか。
テレビ(映像)という仕事柄か、原稿は写真と文章が拮抗するかたちで展開する。内容は、Aさんの55年間の人生が簡潔な文体で凝縮されている。
Aさんは私より一つ年上。ともに団塊の世代の尻尾のほうにあたるため、共感する部分が多い。メールで何度もやりとりしているし、原稿を読んでAさんのことはあらかた分かったような気になっているので、お目にかかるのが2度目とはとても思えず、私はベラベラと自分の人生について語っていた。生ビールの酔いもあったのか、「テーマは人生ですよ、人生。Aさんの人生、私の人生、ね」などと、訳の分からぬことを口ばしるありさま。ああ恥ずかしい。
お開きとなり、「梅田まででいいですか」とタクシーを拾おうとされるのを、「いや、僕は酔い覚ましに少し歩きますから」と辞退すると、「じゃ、僕も。案外近いんですよね」とおっしゃって、南森町から梅田まで一緒に歩く。阪急百貨店の前でAさんと別れ、私は濃いコーヒーを飲んでから帰宅。
正月明けには原稿整理を済ませてAさんに戻すとお約束した。頑張らなければ。

対照的な映画

午前10時から、梅田ガーデンシネマで『亀も空を飛ぶ』(2004年、バフマン・ゴバディ監督、イラン・イラク映画)を見る。最終日の最終上映で、立ち見も出る盛況。私は開映の20分ほど前に着き、最後列に席を確保。映画館スタッフが「今日は混んでおりますので、お荷物はお膝の上に」と再三呼びかけるうち、私の後ろに立ち見の客が並び始めた。カップルが、「しまったなあ。でも、どっちみち間に合わなかったね」とか「立ち見で映画見るなんて、何年ぶりやろ」などと話している。同情はするが、なにやら悪い予感。案の定、予告編が始まっても話し続けている。こいつら、たぶん本編が始まっても話しているなと判断し、振り向いて「静かにしてくれ」と注意する。ところが、男のほうは、それが聞こえなかったかのように知らん顔。しばらく(といっても1、2秒だったろう)そいつの顔を見ていると、女のほうが「すいません」と謝ってきた。ったく!
映画は、悲しく辛い内容だった。イラク北部、クルディスタン地方の小さな村。イラク兵に追われたクルド人難民も押し寄せてきている。イラク戦争を前に、その村で生きる子供たちを中心に描いている。地雷で両腕を失い、あるいは片足を失った少年たちが、それでも元気にたくましく生きている。その子たちの「仕事」が、地雷を掘り出して仲買人に売ることだというのが、なんとも皮肉で怖い。そんな中に、両親を戦争で亡くし、イラク兵にレイプされて子供を産んだ薄幸の少女アグリンがいる。

これ以上は書かないほうがいいと思うが、悲惨で悲痛な現実を真正面に見据えながら、監督は子供たちの生きようとする無条件のエネルギーに希望を託しているようだ。
こういう映画が満員になるというところに、この国にもまだかすかな希望があるのか。

午後1時半から、ナビオTOHOプレックスで友人と『Mr.& Mrs.スミス』(2005年、ダグ・リーマン監督)を見る。前記のイラク戦争の当事者なのに、この映画には戦争の影すらない。なんとも能天気な娯楽作品で、クリスマス直前に見る映画としては、ある意味ふさわしいのかもしれない。ブラッド・ピットもアンジェリーナ・ジョリーも、美しくカッコ良く撮られている。まあ荒唐無稽な「おはなし」として見るべきなのだろうが、アクション部分にもいちゃもんを付けたくなってしまった。
二人が、防弾ガラス装備のBMW3台に追われるシーンがある。追われる彼らが乗っているのは、ファミリータイプのミニバンだ。後ろからバリバリ撃ってくるのに、二人はかすり傷ひとつ負わず、車の中で痴話喧嘩をはじめる始末。最後はBMWのタイヤを撃って横転させるのだが、「最初からそうしろよ!」と言いたくなる。
また、ラストで数十人の敵に囲まれ、納戸のような狭い部屋に逃げ込んだ二人が、ままよっとばかりに銃を乱射しながら外に跳び出してくるシーンがある。ふんふん、ここは『明日に向って撃て!』なのねと思って見ていると、次のシーンでは、ふたたび無傷で夫婦カウンセリング(?)など受けているのだ。そりゃあんまりじゃござんせんか。
偏見に満ちた言葉は慎むべきであるが、「アメリカ人って、やっぱり○○なの?」。『SAYURI』も見てみなければなるまい。

あれも、これも

朝の6時過ぎから仮眠。9時半ごろの電話で起きると、外は吹雪。出歩くのは大変そうだが、窓から見ている分にはなかなかの風情。そうこうするうち、K氏が出社してきた。普段は5分おきに来るバスが、1時間待ちだったとかで、「ほんまに凍えそうや」と言いつつお茶を沸かしている。
明日、急遽友人と『Mr.& Mrs.スミス』を見に行くことになり、大阪駅前第2ビル地下のチケット屋をハシゴ。さすがに人気作品、10軒ぐらい回っても見当たらず。あきらめかけていたら、前売券でなくチラシだけを店頭に並べている店を発見。念のため「これはチケットないんですよね」と訊くと、「あります」と言う。あるんなら現物を並べとけよと思うが、口には出さず、2枚買う。
この調子だと明日も混むなと思い、劇場(ナビオTOHOプレックス)へ。案の定、前のほうの席と左右の端ぐらいしか空いていないと言われる。スクリーンの真下はつらいので、左端の席に決める。ついでにパンフレットも買っておく。のんびり屋の私にしては、「でかした」というところか。
そういえば、と思い出し、宝くじ売り場へ。やはり年末ジャンボは終わったばかりで、仕方なく「初夢宝くじ」連番10枚とバラ10枚を買う。それぞれ袋に入ったのを7、8組並べて、好きなのを選ばせてくれる。「これもあなたの運ですよ」ということか、なかなか粋なはからいだと、苦笑しながら選ぶ。
郵便局へも忘れずに寄り、インクジェット式の年賀状を150枚求める。そんなに必要だったかなあと思わぬでもないが、あとで買い足しに行くのも面倒だし、インクジェット式は売り切れましたと言われるのも業腹なので、まあいいや。
紀伊國屋書店梅田本店で西岡善信さんの『映画美術とは何か』(山口猛編、平凡社)を探すが、ここにもない。カウンターで尋ねると、かっぱ横丁の「シネマ・シネマ」という店舗に1冊あるという。で、そこへ。その店があるのは知っていたが、映画スター関連のグッズや写真集が主だと思い、入ったことはなかった。だが、ここの映画関連書の品揃えは充実している。『映画美術とは何か』も取りおいてくれていて、さっそく「あっ、それください」。「はい、3465円になります」。思わず「えっ!?」と声が出てしまった。2000円ぐらいだろうと思っていたからだ。買うには買ったが、「平凡社さん、きっちり原価計算なさったんですね」という思いだ。それにこの本、帯がついていない。2000年の発行当初からなかったのだろうか。気になるのである。3465円も払ったのだから、余計に。そんなことを考えている私って、小さいですかね、やっぱり。
夕方の打ち合わせを兼ねた会食が延期になったので、今日はこれから散髪に行く。

今年最後のヨーガ教室

寒くて、なかなか布団から出られない。昼ごろ起き出して、まず風呂に入る。40度のぬるい湯に30分浸かる半身浴。寒くなっても続けられるだろうかと思っていたが、慣れると案外平気なものだ。洗濯屋へ行き、ついでに食事。銀行へも寄る。「そうだ、年賀状も買わなくちゃ。年末ジャンボはもう終わったのかな」などと考える。
夕方、ようやく事務所へ。「今日中に」と依頼された校正の仕事があったが、今日はヨーガ教室の年内最終日。校正は明日の朝までにFAXすることで納得してもらい、強引にヨーガ教室へ行く。
小雨のためか、年末だからか、あるいは寒さのせいか、参加者5人と指導者3人のみ。ゆったりした気分で、アーサナ(姿勢、ポーズ)と瞑想。瞑想のあと、指導者Sさんのお話。「次回まで2週間ほど間があいてしまうので、その間は自宅でやっておいてください」。私に向けて言っておられるのだ(たぶん)。思わず顔を伏せる。続けて、「何か質問はありませんか」ときた。こういう場合、口火を切るのが私の役割みたいになっているので、「シャヴァ・アーサナ(屍のポーズ)のとき、雑念が次々と浮かんでくるのですが、どう対処すればいいですか」と訊く。指導者Tさん曰く、「捨てていきます」。つまり、浮かんできた思いに深入りすることなく、サッと捨てる。また別の考えが浮かんできたら、それも捨てる、ということのようだ。私は大いに納得したが、ほかの方からは質問出ず。せっかくの機会なのに、もったいないと思う。
普通なら、ここで「忘年会でも」となるところだが、このヨーガ教室ではそんな下世話な展開にならない。仕方なく、「では皆さん良いお年を。ありがとうございました」と言いおいて辞する。
これから徹夜で仕事だ。