ケセラセラ通信日記 -45ページ目

八百万の死にざま

早いもので、前の「日記」からすでに12日が過ぎてしまった。
この間、私は何をしていたのか。何もしていない、という気がする。
出張校正に出たのが3日。単行本の校正に2日。それで疲れ切って、2日ほどは寝てばかり。会議が1日。映画講座で東陽一監督のお話を聞き、『わたしのグランパ』(2002年)を見た。これがスクリーン・デビューとなった石原さとみが初々しい。上映会のあと、東監督を囲む飲み会もあったのだが、初めての人に会って何か話すという積極的な気分になれず、パス。そんな調子で、ヨーガ教室も1回休んでしまった。
それでも、衆院選の投票には行った。しかし、自民圧勝という結果には、ガッカリを通り越してウンザリ。これまで、この国の人々のバランス感覚には信頼をおいていたところもあるのだが、今回の選挙では「みんなアホか!?」と思ってしまった。この先、この国がどうなってしまおうと、俺は知らんぞ、という気分だ。もとより、自分が「少数派」であり「アウトロー」であることは自覚しているが、今回の選挙ほど疎外感を覚えたのは初めてのような気がする。そもそも、本当に投票したい人が、政党がない。小選挙区制という制度も、少数派には極めて不利だ。このようにしてズルズルと、この国はまた戦争をする国になってしまうのだろうか。いや、もうそれはイラクで始まっているというのに。

そんな冴えない日々の中で、『深夜プラス1』を読み返したことをきっかけに、むかし読んだミステリーを再読する楽しみを発見した。ローレンス・ブロックの『暗闇にひと突き』(ハヤカワ・ミステリ文庫、田口俊樹訳)を読了し、次作の『八百万の死にざま』(同前)を読んでいる。これが、すこぶる良い。〈アル中探偵〉マット・スカダーの気分が、私の今の気分だ。
ニューヨークでは、さまざまな人間が、さまざまな死に方をする。他殺、自殺、事故、などなど。マットは毎日、新聞でそれを読む。この街には八百万の死にざまがある。俺もいつか、そんなひとつの死にざまをするのだろう、というわけだ。
幸い、私の周りには、殺されたやつも自殺したやつもまだいないが。
このマット・スカダー・シリーズは、あと9冊ぐらい出ているから(なぜかすべて二見文庫)、私のささやかな楽しみは当分続きそうだ。

もうひとつの小さな喜びは、ようやく秋が近づいてきたように感じられることだ。秋は、私がいちばん好きな季節。すぐに終わってしまうのが難点だが、それゆえ余計にいとおしい。なぜか、〈肌寒いぐらい涼しい日、ブルーのシャツを着て、生け垣のある道を歩いている〉というのが、私の秋のイメージなのである。

『放浪記』朗読上映本番

朝5時過ぎまでかけて、ナレーション原稿の手直しと言い出しのタイミング・チェック。11時半シネ・ヌーヴォ集合だから、10時には起きなければならない。寝過ごしが心配なので、目覚まし時計を2つセットして寝る。だが、どこか緊張しているのだろう、9時半には目が覚めてしまう。
11時半、無事にシネ・ヌーヴォ到着。普通なら、ここでも原稿チェックなどするのだが、今回は「完璧だ!」という気がして、余裕で喫茶店へコーヒーを飲みにいく。12時に戻って、12時半からの本番にそなえる。ナレーション原稿のノンブル(ページ番号)を確認し、ケータイの電源を切り、2階事務所の電話とファクスのコードを抜く。かつて、本番中にガガガガガッとファクスが入ってきて、慌てたことがあったからだ。
一般のお客さんも多く、場内整理のために上映開始が10分ほど遅れたが、いよいよ『放浪記』(1962年、成瀬巳喜男監督)の朗読上映会が始まった。タイミング・チェックを念入りにしておいたおかげで、ナレーションが俳優のセリフにかぶることもほとんどなく、順調に進んだ。途中、何度か「噛ん」で言い直したりしたが、これはまあ仕方ない。そして、2時間があっという間に過ぎた。
すぐに1階へ下りる。世話役のKさんが、指でOKサインをくれた。スタッフのKさんも聞いていてくれたらしく、「よかったよ」と言ってくれる。目の不自由な方の参加も多く、準備してあるヘッドホン20台ほどが全部出てしまったという。帰ろうとしている方お二人から、感想を聞くことができた。「細かく説明してもらって、よくわかった」と中年の男性。30代ぐらいの女性は「映画の中の音楽が急に大きくなるところがあり、そこは(ナレーションが)聞き取りにくかった」。そういうところは、こちらもマイクの前でできるだけ大きな声を出しているのだが、それでもダメらしい。今後の課題ですね。
いつもなら、このあたりで「お疲れさん」と言って帰るのだが、この日は共同通信の若い女性記者が朗読上映会の取材に来ておられて、世話役のKさんと私も喫茶店でインタビューを受ける。自分の思いを言葉で表現するのはむずかしいものだが、話があっちへ飛びこっちへ飛びしながらも、1時間ほどしゃべる。さて、どんな記事が、どの新聞に載りますことやら。

夕方5時ごろ事務所に戻り、単行本のゲラ校正を始めようと思うのだが、なんだか集中できず、テレビを見たり仮眠したり。共同通信の記者さんには、「このあと仕事がありますので」と、インタビューを途中で切り上げてもらったというのに。結局、夜中から仕事を始め、また「完徹」になってしまった。

それにしても、編集の仕事といい、朗読上映の仕事(これは完全にボランティアだが)といい、「黒子」的なものだなあと思う。その苦労や喜びは、個人の中で完結しているようなところがあり、なかなか理解してはもらえない。別の言葉でいえば、「縁の下の力持ち」的な仕事ということになるのだろうが、知らず知らずそういう仕事に近づいていってしまうのは、やはり私の「資質」や「性格」と関係があるのか。
まあ、どんな仕事も、その《苦労や喜び》は、当事者でなければ分からないものかもしれませんがね。

21日ぶりのヨーガ

2晩徹夜して、30日の夕方にやっと眠れる状態になった。いったい何時間ぐらい眠るものだろうかと、目覚まし時計をセットせずに寝てみることにした。だが、3時間で目が覚めてしまう。しかも、涙ポロポロと泣いているのだ。そのとき見ていた夢は思い出せないのだが、悲しい気分だけは確かにある。やはり、普通ではない脳内状態なのだろう。トイレに立ったついでに顔を洗う。すると、そのまま起きて仕事を始められそうな気分になる。「なんぼなんでも、それは駄目でしょう。59時間も寝てないんだよ。無理にでも眠らなければ」と自分に言い聞かせ、また床に就く。すぐに眠ってしまったようだ。それでも、5時間後には目が覚めたから、睡眠は合計8時間。しかし、たぶんまだ「普通」には戻っていないだろう。

早朝、淀川堤防を1時間ほど散歩。暑さもようやく峠を越したようで、実に爽快。
8時から夕方4時ごろまで順調に仕事して、いったん家へ帰り、ヨーガの準備をしてまた大阪へ。ヨーガ教室の盆休みがあり、私のズル休みがありで、なんと21日ぶりのヨーガだ。その間、家では一度もアーサナ(姿勢、ポーズ)をしていない。「やらなければ」という気持だけはあるのに、結局やらないで日にちばかりが過ぎる。ダメな生徒だ。恐ろしくて体重計に乗れないのだが、サボっているうちに2~3キロは太ってしまったような気がする。「でも徹夜明けだし、今日はあんまり無理しないでおこう」、そんなことを考えながら教室へ向かう。

ギリギリの時間に到着すると、見慣れないメンバーが3人。大きな声で談笑していて、「寡黙な修行者」という感じの他のメンバーとは明らかに雰囲気が違う。聞けば、今日初めて参加した人たちだという。だが、その中に、待望の男性が1人。若い。うらやましいほど体も軟らかい。「男性が少ないから、また来てください」と声をかけておいたが、さてどうなるだろうか。
睡眠不足なので、シャヴァ・アーサナ(屍の形)のときに眠ってしまわないかと心配だったが、それは杞憂に終わった。それより、久しぶりにやるアーサナがどれも体にきつく、しかも初めて教えてもらったサマコーナ・アーサナ(開脚のポーズ)というのが、先生いわく「きついですよ。一番きついポーズかもしれない」というしろもので、もうヘトヘト、ヘロヘロ。でも、終わってみると、不思議といい気持なんだなこれが。「ヨーガは快感ですよ。やっぱり真面目に続けよう」と、認識も新たに帰途についた。〈21日ぶり〉、の効果かもしれない。

私がこの日記にヨーガのことをよく書いているのを見て、数人の読者から「大丈夫?」とか「お金、取られるんじゃないの」などの言葉をいただいた。これも、〈オウム〉の後遺症なんでしょうね。でも、私と私が通っている教室について言えば、もうまったく大丈夫! みんなすごく真剣にヨーガに取り組んでおられて、尊敬してしまうほど。お金は、それなりには必要だけれど、家や財産を取られるなんて心配は皆無。
ただ汗を流す、健康になるというだけの教室ではなく、精神の安定や心の充足、さらに「本当の自分とは何か」を知るというところまで希求している教室全体の雰囲気も私は気に入っている(それにしてはチャランポランな生徒だけど)。
考えるに、普通の人は(何が普通かは、また難しい問題だが)、その会話の中に「悟り」とか「真実」などの言葉が出てくることはまずないだろうから、この日記の中でそういう言葉に出合うと、それだけで違和感やうさんくささを感じてしまうのではないだろうか。言っとくが、「悟り」や「真実」や「本当の自分とは何か」なんて、今の私にはじぇんじぇん分かりません。でも、将来、そういうものに少しでも近づけたらいいなあ、とは思っている。「生・老・病・死」の苦しみと悲しみに満ちたこの世で、自分が生きている意味を明確に揺るぎなく体得(頭でじゃなく、体全体から理解するということ)できたら、あとは何があっても平気なんじゃないかなあ。こんな私は、やっぱり何かにハマってますかねえ。
ともかくそんな大問題より、今現在の私の課題は、家でもせっせとアーサナをして、みんなに「痩せたねえ。ヨガのおかげ?」と言わせるべし、ということなのですが。

59時間ノンストップ・ワーク

いやー、われながらよく働きました。
2晩続けて完全徹夜。途中、眠ったのは電車の中だけ。文字どおりの「完徹」で、手帳を見ると59時間ぶっ続けで働いたことになる。編集者にとって徹夜仕事はめずらしいことではないが、この年になると後がシンドイ。で、最近はなるべくやらないようにしていたのだが、「まだまだできるじゃん!」と、妙な自信をもってしまった。

まず、28日から29日にかけては、いま編集中の単行本の校正。29日の朝には終わりたかったのだが、自分のペースを崩して「急ぐ」ということができず、結局29日の夕方までかかってしまった。
校正したゲラは新大阪駅から新幹線便で東京へ送ったのだが、新幹線便って、毎列車に載せるシステムじゃなかったのね。夕方の6時20分ごろ持って行ったら、ちょうど便のある列車が出たところで、次は8時半ごろの列車になるという。それだと東京着は11時20分で、窓口で受け取りができるのは11時40分ごろからになる。深夜に取りに行ってもらうのも気が引けたが、「29日中着」と約束したし、翌朝は7時から受け取れるというので、ともかくそれで送った。
東京の編集者が、その日のうちに取りに行ってくれたそうだが(編集者はいずこもハードな仕事をしてますねえ。自分でその原因をつくっておいてなんですが)、あとから「あれなら宅急便でもよかったのに。翌朝の10時には届くんだから」と言われてしまいました。言葉もなく、うなだれるのみ。

で、新大阪から自宅へ直帰して、食事・風呂を済ませ、19日の日記にも書いた『放浪記』朗読上映用のナレーション原稿づくり。
その作業にかかれたのは29日の夜10時ごろだから、この時点ですでに12時間は自分の作業予定を遅れていたことになる。しかし翌30日には、リハーサルと見学者のための上映会が予定されていて、しかも「本番と同じようにやってください」と言われていたので、どうしてもその夜のうちに原稿を仕上げなければならない。すでに半分ぐらいは出来ていたので、徹夜をすれば出発予定の朝10時までには原稿を完成し、自分だけで1回リハーサルもできるかなと思っていたのだが、あまかった。
ナレーションは、俳優のセリフにかぶらないように入れなければならないから、まずセリフとセリフの間の「アキ」を探さなければならない。次に、その「アキ」にうまく収まるように文章を考えなければならない。限られた時間の中に、何を入れて何を捨てるのか。原稿としては「芙美子立ち上がる」とか「安岡ドアを閉める」といったふうで、決して難しい内容ではないのだが、目の見えない人に対して、ここで何を言えば映画がちゃんと伝わるだろうかと考えながら原稿にしていかなければならないので、時間がかかるのだ。しかも、これも19日の日記に書いたように、この映画には活字になったシナリオがなく、普通は印刷されたセリフとセリフの間に場面説明の文章を書き込んでいけばいいのだが、今回はナレーションを入れるタイミングになるセリフも書き写しておかなければならなかった。
結局、出発する10時には完成できず、11時半にシネ・ヌーヴォへ駆けつけて、支配人の奥ちゃんに聞いてもらいながら、原稿が出来ているところまでリハーサル。このときの眠かったこと。長ゼリフのところや、数人で話し合っている場面などは、その間こちらは「待ち」になるので、そこで睡魔に襲われるのだ。こんなことで本番は大丈夫だろうかと心配になったが、人間の緊張感はすごいもので、その後の本番では全然眠くならなかった。
リハーサルを一応終えて、残りの原稿づくりにとりかかる。上映の40分前にようやく原稿が完成! やれやれ。この日は見学者(つまり目が見える人)向けの上映会だから、最悪の場合は「すいません、今日は原稿がここまでしか出来ていませんので、あとは映画をお楽しみください」と言って逃げるつもりだったが、出来ていないよりは出来ているほうがいいわけで、とりあえずホッとする。
かくして、30日の午後2時半から『放浪記』の朗読上映会が始まった。途中、福地を菊池と言い間違えたり、画面ではまだ座っていないのに「××畳に座る」と言ってしまったりというふうな細かいミスはいくつかあったものの、全体としては及第点だったと思う。
上映後、見学の方たち(20歳前後の女子大生4人)に感想を聞いてみたが、これというコメントはいただけなかった。まあ、原稿づくりに苦心サンタンしていることなんて、ただ聞いているだけでは分からないよね。私としては、ここは長過ぎてセリフにかぶるとか、このことはぜひ言わなければ、とかの箇所が確認できたので、きたる本当の本番(9月3日)に向けて、なお原稿を推敲するつもりだ。今度の『放浪記』は、シネ・ヌーヴォの朗読上映史上、最高の出来になるかもしれなくてよ。

喧嘩のあとで

夜の電車で、喧嘩を目撃した。
座席にすわれて、発車を待っているとき、ドアをはさんで同じ側の座席から、「なにを!」というような低く野太い男の声が聞こえ、何かあったのかとそちらを覗き込んだが、間に人が立っていたので何も見えなかった。声はそれきり聞こえず、私は本を読み始めた。
だが、電車が2つ目の駅に止まり、何人かの人が降りていったあとから、白いワイシャツ姿の男が、「黙っとったら調子に乗りやがって」とかなんとか喚きながら、血相を変えてドタドタと降りていったと思ったら、プラットホーム上でいきなり殴り合いの喧嘩が始まった。最初は、「オッ、なんだなんだ」という感じで、正直に言うと興味津々で見ていたのだが、これがマジな喧嘩で、力も拮抗しているらしく、なかなか決着がつかない。
2人とも20代後半、白いシャツのほうはサラリーマン風、相手は黒いシャツで、こちらは学生かフリーターという感じ。どちらもごく普通の青年に見える。2人の間に何があったのか分からないが、白シャツのほうが激昂していて、盛んにパンチを繰り出している。だが黒シャツも負けてはいず、ときどきパンチを出し、白シャツの両腕を押さえたままコンクリートの床に押し倒したりする。押し倒されても、白シャツはなんとかパンチを当てようと必死だ。
ずいぶん長く感じられたが、実際には1分か2分ぐらいのことだったろう。それでも、やがて「駅員、早く止めに来いよ」という気持になっていた。小さな駅だから、駅員も車掌も見ているはずなのに、こういうときにかぎって誰も来ない。乗客も、電車の中から、あるいはホームの上から遠巻きに見ているばかり。自分が止めに行くべきかと思うが、あの激昂ぶりではこちらも殴られかねないと、躊躇する気持が勝った。
そのとき、青と白のボーダーTシャツに黒のショルダーバッグ、大きなメガネをかけたさえない中年のオジサンが、するすると止めに入った。すると、タンクトップ姿の青年と、背広姿の男もすぐに駆け寄ってきた。3人がかりで、膠着状態だった2人が離される。この段になって、左から車掌が、右から駅員がようやく現れた。電車は止まったままだから、車掌が「乗って、乗って」というふうに、手ぶりでホーム上の乗客を電車に誘導する。電車はすぐに動き始めた。
プラットホーム上には、駅員をはさんで、白シャツと黒シャツが2メートルほど離れてまだにらみ合っている。黒シャツは黙ったまま、白シャツは相変わらず何か叫んでいる。彼らの足下には、ケータイ電話、黒いトートバッグ、腕時計が散乱している。

喧嘩を止めに入った「英雄」のうち、ボーダーTシャツのオジサンとタンクトップ姿の青年は、私のすぐそばに立っていた。背広姿の男は、あの駅で降りたのだろう。私は、うしろめたい気持と拍手を送りたい気持が胸の中で交錯し、複雑な思いで2人を見ていた。2人とも、何事もなかったかのような表情で窓の外に視線を向けている。「ハードボイルドだなあ。こんなところに男の中の男がいるなんて。特にオジサン、あんたは偉い!」と思いつつ次の駅で降りたのだった。
おそらく些細なことが原因で殴り合いの喧嘩をした青年たちの、ささくれ立った心も哀しいが、なんの関係もない他人が、それを止めに入るのって、凄いことだと思う。本当の優しさと尊厳が、そこにあったのではないか。しかも、自分のすぐ隣の人が、それを体現しているのだ。世の中、まだまだ捨てたものじゃないようだ。
しかし、今度また同じような光景を目撃したら、私は止めに入ることができるだろうか。今もその自信はない。

だらしない男

盆の供養に、息子夫婦が子供(私にとっては孫)を連れて来てくれる。そのため、朝から花を買ってきたり応接間と仏壇のある部屋を掃除したりと大忙し。掃除をして部屋がきれいになると気持ちがいいものだが、続かないんだなあこれが。掃除していない部屋を見られると、ますます〈だらしないオヤジ〉のイメージが定着してしまいそうなので、「一緒に昼飯でも食おう」と早々に彼らを連れ出す。
孫(男の子)も9月で満1歳。見るたびに成長している。それにしても子育ては大変そうだ。夫婦仲良く、親子3人元気で過ごしていってほしいと願う。

『深夜プラス1』(ギャビン・ライアル著/菊池光訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を読了。先日、知人に推薦したのだが、自分でもまた読みたくなったのだ。どこかにあったはずだと、家と事務所を探してみたが、案の定見つけられず、新しいのを買ってきた。さすが冒険アクションの古典的名著、1976年に初版が出て、2000年には34刷にもなっている。
シトロエンDS、ロールス・ロイス・ファントム2、モーゼル、スミス&ウェッソンなど、出てくる車や銃がなつかしい。こう見えて(どう見えているか知らんが)、中学・高校時代は車と銃にはウルサかったのだ。以前読んだときにも思ったのだが、この本はヨーロッパの地図を見ながら読むと、さらに面白かろう。面倒くさくて、今回も地図は引っぱり出さなかったが。また今回は、主人公であるカントンはカッコよすぎと感じられ、アル中のガンマン・ハーヴェイに感情移入しながら読んでいた。どうやら、本の中でも自分と同類を探しているらしい。もっとも、ハーヴェイは〈やるときはやる〉男なのだが。

『ヒトラー~最期の12日間~』を京都で見る

午後4時に待ち合わせて、映画仲間3人と京都シネマで『ヒトラー~最期の12日間~』(2004年、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督)を見る。2時間35分、まったくダレることなく見られた。ドイツ人監督がドイツ人俳優とドイツ語を使って撮ったドイツ映画、というのがいい。当たり前のことみたいだけど、ときどきドイツ兵が英語をしゃべったりする映画があるもんなあ。

ヒトラーを演じたブルーノ・ガンツはもちろん力演だけど、これはその周辺にいた人々の映画だと言えそうだ。土壇場で裏切るやつ、最後まで忠誠を貫くやつ(その忠誠ぶりは恐ろしくなるほどだ)、ヒトラーにも正論を吐くやつ、退廃に堕ちていくやつ、そして静かに退場していくやつ……。そんなさまざまな人間模様を、秘書であったユンゲ(アレクサンドラ・マリア・ララ)が冷静に見ているという構図だ。このユンゲを演じた女優さんが、美人ではあるけど強烈な個性はなく、それがある種透明な存在となって歴史的な経験を伝えるという役回りにうまく合っていると思った。

できるだけ史実に忠実に描こうとしているのだろうが、ヒトラーの身近にいた人の視点に立っているため、印象としては哀れな老人(自殺したときは56歳だったが、パーキンソン氏病の進行や追い詰められてゆく焦燥感などのためか、どう見ても老人なのだ)にしか見えない。つまり、彼が行なった「悪」や「罪」の部分が充分には描かれていず、ヴィム・ヴェンダースなどはその点を批判しているという。ヴェンダースの批判ももっともだが、これはこれでひとつの問題提起になっていると私は思う。少なくとも私は、日本の敗戦から60年の夏にこの映画を見て、絶対に戦争をしてはいけないという思いを強くした。


熱心に映画を見ておなかがすいたので、K先生の案内で木屋町四条上ルの「一養軒」というレストランへ。木屋町通りと先斗町通りの間にあるのだが、細い路地を入って曲がり、また曲がるといったふうで、一人で京都を歩いていても絶対に見つけられないような店。落ち着いた雰囲気で料理もおいしく、何十年もこの味を守ってきました、という感じ。「この店はデートに使えるな」と思うのだけれど、そういうお相手がいないのが残念! 見てきた映画の話で盛り上がり(女性陣が、エヴァ・ブラウンなどが身に着けていたアクセサリーや洋服をものすごく細かく見ていたことに驚かされる)、もうずっとここにいたいと思ったが、もうひとつの目的があったので、自らを引きはがすように席を立つ。


四条から白川沿いの石畳の道を歩いて(写真などでよく紹介される場所だが、夜歩くと本当にいい感じで、久々に「京情緒」を満喫できた)新橋通り(?)へ。東大路通りへ出る手前あたりに、これもK先生が古い付き合いだとおっしゃるギャラリーがあり、そこがもうひとつの目的地なのだった。10月末で閉店するというので、それまでに一度連れて行ってくださいとお願いしていたのだ。いつもガラガラですよと聞いていたのに、なぜか満員で、奥のカウンターに4人で並ぶ。「一養軒」ではビール、ここでは焼酎の水割りを一杯。Nさんのベトナム旅行の話などを聞いているうちに、あっという間に11時近くになってしまった。Nさんと私は大阪まで帰るので、仕方なくお開きに。「また必ず来ます」と約束して京阪四条へ急ぐ。11時半ごろの急行になんとか乗れました。K先生、Yさん、ありがとうございました。京都の良さを再発見した夜になりました。

成瀬巳喜男の日

9月3日(土)に行なう『放浪記』(1962年)の朗読上映会(目の不自由な方々に映画を楽しんでもらうための上映会)用の原稿作り。普通はシナリオがあるのだが、この作品にはなく、原稿作りにひどく時間がかかる。試しに、「放浪記 シナリオ」でインターネット検索をしてみると、『麻雀放浪記』のシナリオが出てきた(苦笑)。和田誠監督の『麻雀放浪記』は好きな作品だが、これのシナリオが活字化されていて、成瀬の『放浪記』にはそれがないというのは由々しき問題ではなかろうか。ともかく、そんな理由で原稿作りははかどらず。

午後3時から、シネ・ヌーヴォで1回目の朗読上映会練習。原稿が少ししか出来なかったので、練習も1時間ほどで終わってしまう。いつも、私の原稿作りが遅いので機嫌が悪い世話役のKさんが、なぜかニコニコしている。聞けば、「今日は成瀬の映画を見たかったので、原稿がたくさん出来ていたら(映画を見られないので)イヤだなあと思っていた」とのこと。「この私が、1回目からそんなに真面目に原稿を作ってくるはずがないじゃないですか」と応えたが、次の練習日までには完成させておくので、ご勘弁を。

というわけで、4時40分からKさんと一緒に『舞姫』(1951年)と『浮雲』(1955年)を見る。
『舞姫』は、バレリーナの家庭というのが目新しい。製作当時なら、もっとだったろう。主演は高峰三枝子で、これが若く美しい。ノーブルな顔立ち、というのだろうか。その高峰さん、たしか怪しげなダイエット法のために亡くなったと記憶するが、なんだか悲惨な気がする。夫役の山村聰も痩せているし、娘役の岡田茉莉子も輝くように若々しい。スクリーンに、若く、美しく、痩せていたころの自分が定着されているのって、本人にとってはどんな気分なんだろう。そんなことを考えてしまった。

『浮雲』は、やはりまぎれもない名作。屋久島でのラストシーンは、何度見ても泣かされてしまう。高峰秀子は凄い女優だ。森雅之も頬がこけて見えるほど痩せていて、戦後すぐの精神的「虚無」を体現している。この映画にも岡田茉莉子が出ていて、『舞姫』から4年なのに、お嬢さんから妖艶な女に変貌している。何より、成瀬巳喜男の光をとらえるうまさに、言葉もない。
いいなあ、ナルセは。フリーパス券(23000円)買おうかなあ。でも、もう何本かは上映が終わってしまってるし、これから1カ月は仕事も忙しいしなあ。困った、困った。

トホホの「書評」更新

15日、「盂蘭盆棚経」も無事終わり、午後から食事と買い物のため外出。だが、お盆なので、どこもお休みだ。食事をするために20分ほど歩き回って、ようやく開いている喫茶店を発見。サンドイッチとコーヒーで昼食を済ます。幸い、スーパーは開いていて、必要なものは買うことができた。家に戻り、掃除・洗濯でもしようかと思ったが、「書評」を書く準備のために『泥沼ウォーカー』を読み返していたら、また引き込まれてしまい、結局夜中までかかって2回目を読了。

16日、午後から事務所に出て、「さあ書評を書くぞ」と思っていたら、来客があり、その人たちと「軽く一杯」ということになってしまう。生中1杯だけにして、あとはウーロン茶を飲んでいたが、いつもの眠気には勝てず、事務所に戻って爆睡。夜中の3時ごろに起きだして、ようやく「書評」を書き始める。

17日、昼までかかって前夜からの「書評」を仕上げる。さて、次はホームページへの更新だが、簡単にできそうなつもりでいて、いざやってみると随分忘れている。そのつど、パソコンの師匠・ojiさんに電話して教えを乞う。煩わしい電話で、まことにすいませんでした師匠。午後5時、アップアップしながらも、なんとかアップできた。少し直したいところもあるし、いじくり回している途中で、ojiさんが作っておいてくれた「ひな型」を消去してしまったらしく、文字の大きさや色などもこれまでとは違っているのだが、まあ文章だけは読めるので、今日のところはこれでよしとしよう。

というわけで、「書評」の第2弾に笹野みちる著『泥沼ウォーカー』(PARCO出版)を掲載しました。読んでやろうという方は、この日記左欄の「ケセラセラ通信(メインサイト)」をクリックしてHPに入り、「書評」のページを開けてください。
奇しくも、書評の第1弾である黒木和雄監督の『私の戦争』は、ちょうど1年前の今日(8月17日)掲載している。1年が経つ早さに愕然とする。「少年老い易く学成り難し」か。少年でもなく、学もない私は、どうすりゃいいのさ。

『泥沼ウォーカー』

ネットで注文していた笹野みちる著『泥沼ウォーカー』(PARCO出版)が届く。また朝の4時までかかって一気に読んでしまう。眠れぬまま、これを書いている。それにしても、ハマってるよなあ「笹野みちる病」に。

感想は、長くなりそうなので、ちょっと頑張って「書評」のほうに書こうと思う。書けたら、この日記で報告します。


今日は、11時半に坊さんがお盆のお経をあげに来てくれるので(正しくは盂蘭盆棚経〔うらぼんたなぎょう〕というらしい)、これから大車輪で家の中を掃除するつもり。何をするにも、「泥沼」ならぬ「泥縄」だなあ私は。そんな反省してるより、さっさと体を動かそう。じゃあ、またね。