ケセラセラ通信日記
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「第17回 大阪アジアン映画祭」終わる

記事更新が追いつかぬまま、OAFF2022が終わってしまった。

受賞結果は、以下からご確認を。

https://www.oaff.jp/2022/ja/outline/prizes.html

明日から、印象に残った作品をぼちぼちご紹介していこうと思う。では、今夜はこれで。

「映像のアルチザン─松川八洲雄の仕事─」

松川八洲雄さんにお目にかかったことはなく、黒木和雄監督『とべない沈黙』脚本執筆者のお一人としてお名前を知っていた程度。作品に接するのも、今回が初めてだった。黒木さんらが、スポンサーとの確執を避けられないPR映画の世界から飛び出したのに対して、松川さんはずっとそこにとどまったことで、映画史的には埋もれてしまった感がある。今回の11本を集めるのにも、主催者側は相当に苦労されたようだ。

 

『一粒の麦』(1962年/28分)

麦の発芽を捉えた微速度撮影や、顕微鏡撮影による受精のシーンなど、小川プロの『ニッポン国古屋敷村』や『1000年刻みの日時計』を彷彿とさせた。「小川さんたちも、きっとこれを観たに違いない!」と思った。品種改良(突然変異株をつくる)のために、放射線を麦に照射するシーンには驚いた。まさか今はやっていまいが、そこから遺伝子組み換えまでは地続きだったろう。

 

『ヒロシマ・原爆の記録』(1970年/30分)

原爆の怖さ、被害の悲惨さを余すところなく伝えている。マジで「プーチンに見せたい」と思った。普通、原爆の写真や映像は、どこかで見たことのある場合が多いが、アメリカに持ち去られていたという《原爆投下のわずか一カ月後の広島で日本の映画人たちが現地を記録していたフィルム》(本企画レジュメ)がふんだんに使われているからだろう、今までに見たことのない映像がいくつもあった。

 

『土くれ─木内克の芸術─』(1972年/18分)

彫刻家・木内克(きのうち よし)の日常と仕事ぶりを描いた作品。ナレーション、説明のための字幕、インタビューなどは一切なく、粘土を造形する手、テラコッタの質感などが、木内のアトリエで採集された音(水場の水滴の音、掛け時計が時を刻む音など)と木下忠司の音楽とともに、詩的な映像としてまとめられている。

 

『飛鳥を造る』(1976年/50分)

1944年に落雷で消失した奈良・法輪寺の三重塔再建の過程を記録している。寺大工・西岡常一、再建に尽力した作家・幸田文も頻繁に登場していて、懐かしい。

 

『JAPAN』(1973年/80分)

《海外に向けて日本を紹介するために企画された作品》(同上レジュメ)とのことだが、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自衛隊員たちにクーデターを呼びかける映像から始まり、三里塚の空港建設反対闘争と出来上がった滑走路のシーンで終わっているのにはビックリ。

 

『不安な質問』(1979年/85分)

食の安全に目覚めた市民が、みんなで資金を出し合い、土地を借り、開墾して農場をつくり、鶏や豚を育て、それを食べ、卵を売り、自給自足していく「たまごの会」の活動を何年もかけて追った自主製作作品。みんなが自由闊達に発言しているような会議のシーン、集団の中で育てられる子供たち、男も女もなく農作業に従事する姿。当時共有されていた「理想」が実現・拡大していくようで、心が躍った。「ヤマギシ会」と同じようなものか、「たまごの会」はその後どうなったのか、などが気になる。

 

 

 

 

OAFF3日目・4日目(3/12・13)

OAFFの連携企画として、国立国際美術館の地下1階 講堂で開かれた「映像のアルチザン─松川八洲雄の仕事─」に通う。参加無料の事前予約制で、3月7日に申し込んだが、7つあるプログラムのうち3つがすでに満席となっていた。しかしキャンセルが出たので、結果的には全プログラムを視聴することができた。

 

松川八洲雄(1931〜2006)は、松本俊夫・黒木和雄・土本典昭らとほぼ同世代のドキュメンタリー映画作家で、PR映画・産業映画・民俗芸能映画・アートドキュメンタリーなど約80本を製作した。

 

今回上映されたのは以下の11本で、岡田秀則・国立映画アーカイブ主任研究員の特別講演もあった。

 

『一粒の麦』(1962年/28分)

『鳥獣戯画』(1966年/30分)

『ヒロシマ・原爆の記録』(1970年/30分)

『仕事=重サ×距離─三菱長崎造船所からのレポート─』(1971年/34分)

『土くれ─木内克の芸術─』(1972年/18分)

『飛鳥を造る』(1976年/50分)

『ムカシが来た─横浜市長屋門公園古民家復元の記録─』(1993年/46分)

『JAPAN』(1973年/80分)

『不安な質問』(1979年/85分)

『民俗芸能の心 琵琶湖・長浜 曳山まつり』(1985年/32分)

『民俗芸能の心 神々のふるさと・出雲神楽』(2002年/41分)

 

いずれも、扱うテーマに応じて表現に工夫を凝らし、この時代のドキュメンタリー映画の地平を切り拓いていった作品群だと言えるのだろう。

次回は、印象に残った作品について触れてみたい。

 

OAFF2日目(3/11)

『シャンカルのお話』

2021年/インド/93分/監督:イルファナ・マジュムダール

 

悠然たるものだ。商業的成功など眼中にないかのような映画づくり。

 

1962年。インド北部、ネパールに近い地方都市・ラクナウ。その街の、さらに郊外の深い森の中にある豪邸が舞台。その家には警察署長が家族とともに住み、執務もそこで行なっている。ライフルを携えた警官が、門番に立っている。

 

9歳になる署長の娘アンジャナと、使用人シャンカルの交流がお話の中心。シャンカルは、忙しい仕事の合間に、幽霊や妖精の話をアンジャナに語って聞かせる。アンジャナは、何不自由ない守られた生活の中で、感性豊かに育っていく。

 

穏やかな、ほほえましくもある生活が淡々と描かれていくが、泥棒(?)が理不尽に銃殺されたり、ラジオからは中国との国境紛争のニュースが流れてきたり、シャンカル自身も厳しい階級制度の中に置かれているという「現実」が徐々に見えてくるのだ。

 

使用人たちを差配するアンジャナの母親役を、監督自身が演じていて、堂々たる女優ぶりである。

 

 

『自分だけの部屋』

2022年/中国/25分/監督:シエ・イーラン(謝依然)

 

このトシになると、男と女の痴話喧嘩はどうでもよく、芸術家志望の男なんて自意識過剰なろくでなしと相場は決まっていて、別れて正解だったと言うしかないが、グリーンを基調とした色彩設計、開け放たれた窓から入ってくる空気やアパートの住人がたてる物音や声が、どこか風通しの良さを感じさせ、好感をもった。

 

特に、自分たちが愛の営みを繰り返した大きな赤いマットレスを、彼女がよっこらしょと立ち上げ、部屋の外まで押していって捨て去るところには爽快感さえ覚えた。

開会挨拶の内容

前回触れた上倉先生のOAFF開会挨拶だが、あれでは何もお伝えできていないと思い、ご本人に挨拶原稿を見せていただいた。そこには、こんな一節も。

 

《今年もわたくしたちは、あなたがた(映画制作者)のつくった映画を見て、立ち止まり、そしてたとえば、国境に集結する戦車を思い浮かべ、ミサイルが破壊するマンションを記憶に刻み、一国の大統領が一国民として隣国の国民に戦争中止を訴えかける姿を重ね、幼い子が涙をためて死にたくないとつぶやいた意味を問い直すことでしょう。「映画をとおして、リアルタイムのアジアを、大阪から世界へ」とは、そういうことだろうと思います》

 

ね、文学的表現でしょう?

OAFF2022オープニング

OAFF(大阪アジアン映画祭)オープニングは、10日(木)19時から梅田ブルク7で開かれた。

 

大阪映像文化振興事業実行委員会委員長・上倉庸敬(かみくら つねゆき)先生のビデオメッセージによる開会挨拶と、オープニング作品『柳川』のチャン・リュル監督によるこれもビデオメッセージのみで、ゲストの登壇などの華やかなセレモニーは一切なし。コロナ対策としてなのであろうが、これはこれでアッサリしている。

 

上倉先生の挨拶は、公式カタログに載っているような短いものだろうと勝手に思い込んでいたが、意外に長かったので驚いた。後半には(ウクライナを連想させる)戦争の惨禍にも触れられ、その表現も練りに練ったと思われる文学的なものだったが、こちらの構えが出来ていず、充分には受け止めきれなかった。

 

チャン・リュル監督のビデオメッセージは、OAFFホームページで観ることができる。その恋愛についての言葉や、59歳にして『柳川』のような映画を撮れることからして、素直で純粋な人なのだろうと思う。作品としては『慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ』のほうが私は好きだ。

コワイ・マッチョ

シネ・ヌーヴォで、ドキュメンタリー映画『チェチェンへようこそ −ゲイの粛清−』を観た。観ているあいだじゅう、深いため息がいくつも……。

作品の公式ホームページにはこうある。《ロシア支配下のチェチェン共和国で国家主導の“ゲイ狩り”が横行している。同性愛者たちは国家警察や自身の家族から拷問を受け、殺害され、社会から抹消されている。それでも決死の国外脱出を試みる彼らと、救出に奔走する活動家たちを追った》。昔の話ではない。現在進行中の事態なのだ。

冒頭、ワーニャという女性(21歳)から男性に電話がかかってくる。「自分の性的指向を叔父に知られ、叔父と寝なければ、その秘密を父親にバラすと脅されている」というのだ。虫唾が走る。ワーニャの父親は政府高官で、秘密を知られたら父に殺されるだろう、という。電話を受けた男性は元ジャーナリストのLGBTQ活動家で、急遽、ワーニャの国外脱出計画が動きはじめる。

チェチェンでは、ゲイやトランスジェンダーであることは「悪」とされ、彼・彼女らへの迫害(拘留・拷問・殺害など)は「罪」を問われないのだという。同共和国の首長・カディロフは「チェチェンにゲイは存在しない」と公言している。そしてプーチンは彼を擁護しているのだ。カディロフは、立派なあごひげを蓄えた、見るからにマッチョな男。笑わないプーチンのマッチョぶりもご存じのとおり。「血の浄化」政策を進めている彼らこそが「ナチ」ではないか。いやおうなく、ウクライナを連想させられた。

同性愛者たちに避難用シェルターを準備し、国外脱出を助けるLGBTQ活動家たちの奮闘が尊い。この人たちにこそ、ノーベル平和賞をあげてほしい。

こういう極限状態において、「お前はどちらの側に立つのか」と問われているような気がした。もちろん答えは決まっているが、しかし、過酷な拷問を受けても友人・知人を売らない自信は私にはない。

それにしても、逃げるほうも逃がすほうも、全員顔出しで登場している。「大丈夫なのか?」と思ったが、最新の「フェイスダブル」「ボイスダブル」という技法で、当事者の顔と声は完全に変えられているのだという。そして、ニューヨークのLGBTQ活動家22人が、その「顔」を提供したという。文字どおり「顔を貸した」わけですね。その22人の方々も偉い!

 

2020年/アメリカ・イギリス合作/107分/監督:デイヴィッド・フランス/シネ・ヌーヴォでは3月25日まで

「大阪アジアン映画祭」終わる

この15日で、第15回 大阪アジアン映画祭(OAFF)が終わった。新型コロナウイルスへの対処として、ほぼすべてのセレモニー・舞台挨拶・Q&Aが中止となったが、映画は予定どおり上映された。

期間中、私は短編を含め37本、Q&Aの司会を担当するため事前にスクリーナーやDVDで観たものを含めると計43本を観たことになる。

以下、簡単にその感想を記しておきたい。1〜3日目はすでに書いた。4日目は休んだので、5日目の3月10日(火)に観た3本から。

 

フィリピン映画『LSS:ラスト・ソング・シンドローム』(LSS:Last Song Syndrome/ジェイド・カストロ監督)。同じ歌を愛する若い男女が、偶然バスで隣同士になり、意気投合。バスに乗っている短い時間の中で、別れがたく思うほど互いに惹かれ合う。その後、ふたりは別々の日常を過ごすが、ともに深い失意に沈む経験をする。そんな中、またしても偶然に再会し恋人同士になるというハッピーエンド。愛を語るのに歌詞を引用するあたりが目新しい。その歌の数々は、私がまったく知らないものだったが。ヒロインを演じたガビ・ガルーシアの、のびのびと育ったような健康的肢体がまぶしい。

 

フランス・バングラデシュ・デンマーク・ポルトガル映画『メイド・イン・バングラデシュ』(Made in Bangladesh/ルバイヤット・ホセイン監督)。バングラデシュの首都ダッカ。大手アパレルブランドの下請け製縫工場が密集している。主人公シムは、そんな工場のひとつで働く23歳の既婚女性。労働環境は劣悪で、夫は失業中。労働者を支援するNPOの女性メンバーと知り合ったことをきっかけに、シムは労働組合の立ち上げに奮闘する。だが、夫の協力は得られず、会社からは陰に陽にの妨害に遭う。さらに、労働省(?)の役人も会社側に付いて申請書類を棚上げにする。このままでは仲間を裏切る結果になると思い詰めたシムは、一発逆転の行動に出て労働組合設立を成し遂げる。映画はここで終わっているのだが、労働組合が出来ても、前途は多難だろうなと思わせられた。公式カタログには《実在する女性の経験をもとに》とある。

 

フィリピン映画『メタモルフォシス』(Metamorphosis/ホセ・エンリーケ・ティグラオ監督)。LGBTを扱った映画は珍しくなくなったが、本作はインターセックス(性分化疾患)を描くことに挑戦している。「性分化疾患」という言葉も分かりにくいが、平たく言えば両性具有、半陰陽ということになるのだろうか。ただ、この問題は難しくて、インターセックスの範疇には、両性の生殖器、生殖腺、染色体、ホルモンの分泌状態などの組み合わせによって30〜60以上ともいわれるパターンがある、とのこと。映画の主人公アダムは15歳。男の子として育てられ、本人もそのことを微塵も疑っていないが、ある日、突然に初潮を迎える。混乱する本人。同級生からのいじめに遭い、強権的な父親は「すぐに手術して女になれ」と迫る。年上の転校生エンジェルだけが、アダムを差別しない。当事者に寄り添うこと、理解しようと努めることの大事さを痛感させられた。

 

「大阪アジアン映画祭」2日目・3日目

 

連日帰りが遅く、更新できなかったが、3月7日と8日に観た映画の感想を記しておきたい。

 

3月7日(土)は3本。

日本・香港・韓国映画『ある殺人、落葉のころに』(The Murders of Oiso/三澤拓哉監督)。2015年のOAFFで観た同監督の『3泊4日、5時の鐘』は、コミカルな群像劇という趣だったが、長編2作目にして、ずいぶん雰囲気が変わった。欧文タイトルにもあるように、湘南・大磯で育った4人の青年たちの、息詰まるような関係の物語。その変化は、香港版『十年』(大好き!)監督の一人ウォン・フェイパンらと三澤監督が知り合ったことが大きく影響しているようだ。これも「映画祭効果」のひとつだろう。

 

日本映画『VIDEOPHOBIA』(VIDEOPHOBIA/宮崎大祐〔だいすけ〕監督)。『大和(カリフォルニア)』(2016年)、『TOURISM』(2018年)の宮崎監督が、また新しい挑戦を見せてくれた。全編モノクロで、大阪が舞台。それも、鶴橋・十三・芦原橋・西成など、ディープな場所なのが嬉しい。今や私たちの日常と化したネット・監視社会の、ぞわぞわするような怖さ。クリアな音・音楽も素晴らしい。この人の映像世界は、どこまで広がるのか。

 

日本映画『東京の恋人』(The Modern Lovers/下社敦郎〔しもやしろ あつろう〕監督)。学生時代は自主映画制作に没頭していた男と、その恋人の、30歳を過ぎての「青春の終わり」をホロ苦く描く。恋人・満里奈を演じた川上奈々美のエロさ、可愛さに主演女優賞を。

 

3月8日(日)は2本。

韓国映画『マルモイ ことばあつめ』(Malmoe:The Secret Mission/オム・ユナ監督)。1940年代の京城(現ソウル)が舞台。日本による統治で韓国語の使用が禁止され、創氏改名が強制される中、民族の言葉を守ろうと、韓国語辞書の編纂に命をかけた人々のお話。史実を基にしているという。こういうテーマに、編集者である私はヨワい。憎まれ役の日本人官憲が、みな韓国人俳優であるのは仕方ないのか。日本での公開が決まっている。

 

香港映画『私のプリンス・エドワード』(My Prince Edward/ノリス・ウォン監督)。ブライダルショップで働く女性フォンと、写真店オーナーのエドワードとの恋愛・結婚をめぐるお話。フォンは10年前、貧しさから抜け出すために、中国から来た男と偽装結婚していた、というあたりが、香港の実情を反映しているのだろう。エドワードからの束縛、彼の母からの干渉にウンザリのフォンは、自由になりたいと願うが、その「自由」は、いま香港の人々が切実に希求している「自由」と、どこかで通底しているのだろうか。

THE FIRST PICTURES SHOW 1971-2020

大阪芸大の太田米男先生が、この3月で退官されるそうです。そして、4月から学生映画の特集上映を「おもちゃ映画ミュージアム」で1年以上かけて行なっていくとか。題して「THE FIRST PICTURES SHOW 1971-2020」。

昔の卒業生で、連絡のつかない人もいるようなので、以下シェアします。

http://toyfilm-museum.jp/news/infomation/6083.html

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