「映像のアルチザン─松川八洲雄の仕事─」 | ケセラセラ通信日記

「映像のアルチザン─松川八洲雄の仕事─」

松川八洲雄さんにお目にかかったことはなく、黒木和雄監督『とべない沈黙』脚本執筆者のお一人としてお名前を知っていた程度。作品に接するのも、今回が初めてだった。黒木さんらが、スポンサーとの確執を避けられないPR映画の世界から飛び出したのに対して、松川さんはずっとそこにとどまったことで、映画史的には埋もれてしまった感がある。今回の11本を集めるのにも、主催者側は相当に苦労されたようだ。

 

『一粒の麦』(1962年/28分)

麦の発芽を捉えた微速度撮影や、顕微鏡撮影による受精のシーンなど、小川プロの『ニッポン国古屋敷村』や『1000年刻みの日時計』を彷彿とさせた。「小川さんたちも、きっとこれを観たに違いない!」と思った。品種改良(突然変異株をつくる)のために、放射線を麦に照射するシーンには驚いた。まさか今はやっていまいが、そこから遺伝子組み換えまでは地続きだったろう。

 

『ヒロシマ・原爆の記録』(1970年/30分)

原爆の怖さ、被害の悲惨さを余すところなく伝えている。マジで「プーチンに見せたい」と思った。普通、原爆の写真や映像は、どこかで見たことのある場合が多いが、アメリカに持ち去られていたという《原爆投下のわずか一カ月後の広島で日本の映画人たちが現地を記録していたフィルム》(本企画レジュメ)がふんだんに使われているからだろう、今までに見たことのない映像がいくつもあった。

 

『土くれ─木内克の芸術─』(1972年/18分)

彫刻家・木内克(きのうち よし)の日常と仕事ぶりを描いた作品。ナレーション、説明のための字幕、インタビューなどは一切なく、粘土を造形する手、テラコッタの質感などが、木内のアトリエで採集された音(水場の水滴の音、掛け時計が時を刻む音など)と木下忠司の音楽とともに、詩的な映像としてまとめられている。

 

『飛鳥を造る』(1976年/50分)

1944年に落雷で消失した奈良・法輪寺の三重塔再建の過程を記録している。寺大工・西岡常一、再建に尽力した作家・幸田文も頻繁に登場していて、懐かしい。

 

『JAPAN』(1973年/80分)

《海外に向けて日本を紹介するために企画された作品》(同上レジュメ)とのことだが、三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で自衛隊員たちにクーデターを呼びかける映像から始まり、三里塚の空港建設反対闘争と出来上がった滑走路のシーンで終わっているのにはビックリ。

 

『不安な質問』(1979年/85分)

食の安全に目覚めた市民が、みんなで資金を出し合い、土地を借り、開墾して農場をつくり、鶏や豚を育て、それを食べ、卵を売り、自給自足していく「たまごの会」の活動を何年もかけて追った自主製作作品。みんなが自由闊達に発言しているような会議のシーン、集団の中で育てられる子供たち、男も女もなく農作業に従事する姿。当時共有されていた「理想」が実現・拡大していくようで、心が躍った。「ヤマギシ会」と同じようなものか、「たまごの会」はその後どうなったのか、などが気になる。