ケセラセラ通信日記 -6ページ目

『半世界』

25日(月)、恒例の「映画観賞会」で、阪本順治監督の『半世界』を友人3人と観る。この映画観賞会というのは、毎月1回、観る作品・日時・映画館を私が決め、それを友人・知人にメールで知らせ、来たい人・来られる人だけが参加するというもの。出欠の返事は求めていないので、当日にならないと参加人数は分からない。高橋伴明監督の『火火』(ひび/2005年)が最初だったから、もう14年も続いていることになる。

映画を観たあとは飲み会、というのも恒例になっている。

 

さて、『半世界』だが、まずは阪本順治の「成熟」を感じた。これが26作目になるという。全部は観ていないが、半分以上は観ているだろう。『どついたるねん』(1989年)以来、注目してきた。その中で感じた成熟である。

『半世界』というタイトルは、観終わると納得で、「なるほどなあ」と感心したのだが、最初に聞いたときは「哲学的で難しい映画では?」と思った。しかし、それは杞憂であった。

阪本自身がオリジナル脚本を書いている。これが素晴らしく、印象的なセリフがいくつも出てくる。

山深い町で備長炭を作って生計を立てている男(稲垣吾郎)が主人公。炭焼きの工程が丁寧に描かれる。しっかり者の妻(池脇千鶴)、反抗期の息子(杉田雷麟[らいる])がいる。そして小・中学校以来の幼なじみがふたり(長谷川博己[ひろき]、渋川清彦)。この配役が見事だ。

長谷川博己演じる瑛介は、自衛隊員となり海外に派遣されていたが、何年かぶりに突然町に帰ってくる。そこから物語が動き始めるが、映画を観てもらいたいので、ストーリーはこれ以上書かない。

友達、親子、夫婦の関係や仕事がユーモアを交えて描かれていくが、どれにも思い当たるフシがあり、誰もが共感できる内容だと思う。そして、それが深い。

パンフレットに載っていた阪本監督の言葉が、そのあたりのことをよく伝えているので、引用しておく。

《ここ5年ほど、大きな言葉(ワード)で世界を捉え、海外で撮影をするといった、強引に熱量を上げていかなきゃいけないような仕事が続いていたんです。それが一段落した時に、地元である日本の地方都市に戻り、間口が狭くてもいいから、奥行きの深い物語が作れないかなと思ったんです。そんな中で、自分たちの小さな営みと、世界で起こっていることが地続きなんだと感じてもらえるといいなと。》

そのパンフレットだが、幼なじみの光彦を演じた渋川清彦さんは、佐藤零郎(れお)監督の『月夜釜合戦』(つきよのかまがっせん/2017年)にも重要な役で出てるんだよね。パンフレットにも載せてほしかったなあ。

京都で「次世代映画ショーケース」

やれやれ、ようやく追いついた。今後は、Facebook に書いたものは、こちらにも載せていきます。

以下は、2月25日に書いたもの。

 

一昨日(23日)も昨日(24日)も、京都・出町座へ。「次世代映画ショーケース」の作品を観るためだ。

 

一昨日は、『波のした、土のうえ』(監督:小森はるか+瀬尾夏美)。震災後の岩手県陸前高田市の人々に、3年も密着して話を聞き、それを基に作家の瀬尾夏美が被災者の「語り」として脚本(?)を起こし、その文章を被災者本人が語るように読む。そこにドキュメンタリー『息の跡』の小森はるかが、映像で伴走する。
映像は、津波ですべてが失われてしまった平地が主になる。アスファルトは剝がされ、復興工事の車両が土煙を上げて行き交う。平地には雑草が生え、一面の緑ではあるが、そこもいずれ土地嵩上げのために土に埋まる。だが、その場所には、失われた両親や幼なじみの思い出が貼り付いている。両親の家があった場所(現在は道路)にブルーシートを敷き、線香を供える女性。幼なじみと遊んだ場所を案内する初老の男性。いずれは埋められてしまう場所に、広大な花畑をつくる中年女性。その3人の被災者本人(3人目は瀬尾夏美が代理で)が、被災者本人の言葉として、その胸の内をまるで友人に語りかけるように話す。その語りは、とても自然で、親和性に満ち、その人がすぐ側にいるように感じられる。
演出され、練り上げられた脚本ではあるけれど、それは普通にインタビューする以上に本人の言葉であり、いわゆる「脚本」とは違う。
本作はもちろんフィクションではないが、ドキュメンタリーとも言いにくい。しかし、こういう表現方法があったのか! という驚きがあり、表現の幅や奥深さについて考えさせられた。
聞けば、本作は同名の展覧会の一部として会場で流された映像だという。その意味でも、貴重な作品を観ることができた。


昨日は、『きみの鳥はうたえる』(2018)で注目された三宅唱監督による『1999』と『無言日記2014』。
前者は、三宅が中学3年のときに撮った3分の短編。おそらく文化祭前の校内で、ひたすら追っかけっこをする2人(最後は3人)の中学生を撮っているだけの内容。音も入っていないサイレントで、カラー。だが、ちゃんとカット割りもあり、ラストの効果的なストップモーションにも感心した。
後者は、三宅が iPhone で撮影した1年間(2014年)の映像を66分にまとめたもの。それゆえ、1カットは数秒から長くて20秒。ナレーションも字幕も音楽もなく、ただ三宅が日常で目にした光景が脈絡なく流れていくだけなのだが、これが不思議と飽きずに観ていられるのだ。四季の移り変わり、場所の変化(私の記憶の限りでは、ドイツ、東京、北海道、東京、京都、東京)、風景の変化(車窓から、街頭で、映画館で、酒場で、広場で、新宿で、など)が面白いのだ。それは究極のモンタージュとも言え、編集には相当の時間と手間をかけているのではないかと思う。
これが「作品」と言えるのか、という議論もあるだろうが、じゃあ「作品」って何なの? と三宅は問うているようだ。さらに広げれば「映画」って何? とも言えるわけで、その本質について考えさせられた。

『21世紀の女の子』

以下は、2月22日の深夜にFacebook に書いたもの。

 

今日(22日)は、シネ・リーブル梅田で『21世紀の女の子』を観てきた。オムニバス作品で、監督はすべて女性。「自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること」というテーマで撮られた1本約8分の短編が15本続き、いささか消化不良気味。

けっこう有名な俳優さんや知り合いの女優さんも出てきて、驚く。上記のテーマで8分以内という制約は、制作者側にとっては、ハードルが高かったのではないかと思う。同性愛や同性同士の友情を描いた作品の比率が高かったのは、やはりテーマのためだろう。また、全体的に男性の影が薄いのも気になった。とはいえ、バラエティは豊かで、自由にやっている雰囲気もあり、女性監督たちの情熱や工夫は充分伝わってきた。観たあとで「あれはどうなの?」とか言いたくなり、ぜひ誰かと一緒に観てほしい。
私のオススメは『セフレとセックスレス』(監督:ふくだももこ)です。

 

上映後には舞台挨拶もあり、『ミューズ』の安川有果監督と『粘膜』の加藤綾佳監督が登壇。実は私、この安川監督とも知り合いなのだ。安川さんのは1本目で、全体のクオリティーを観客に想定させる重要な位置だが、そのお役目は見事に果たしていると感じた。
司会もなく、お二人だけのトークだったが、ご両人とも落ち着いていて、今さらながら「女性の時代」を痛感。
劇場を出てきたら、ロビーに安川監督、コプロデューサーの小野光輔さんもおられ、ちょっとお話しできたのも嬉しかった。

『疑惑の影』と「大阪アジアン映画祭」

以下は、2月22日に Facebook に書いたもの。

 

21日(木)、長堀橋でアルフレッド・ヒッチコック監督作品『疑惑の影』(1943年)の勉強会。いくつか分からないことが出てきた。ご存じの方はお教えください。

1)冒頭の橋は、なんという橋でどこにある?
2)チャーリー叔父さんがサンタローザに到着してから決着(彼が列車から転落)まで、何日間の出来事?
3)はじめのほうの列車内で、医師夫婦と後ろ姿の男(ヒッチコックがカメオ出演)らがカードゲームをしていて、後ろ姿の男の手札はスペードの1から13。医師が彼に「君も顔色が変だぞ」とか言うが、その意味は?

 

3月8日(金)〜17日(日)は「第14回 大阪アジアン映画祭」。私も日本映画のQ&A(映画制作者と観客との質疑応答)司会を何本か担当する。まだ情報は少ないが、「ぴあ関西版 WEB」に、江口由美さんの取材・文による紹介記事が出たので、とりあえずそれをご覧ください。前売券発売は、ぴあ、セブン-イレブンなどで2月23日(土)午前10時から。

http://kansai.pia.co.jp/interview/cinema/2019-02/oaff2019.html?fbclid=IwAR25tkZVApn2uhKmpiZvbUKIdcB0RAPQwMG76cCplGrTgt0Vhm-9VQOIUxM

しつこく「次世代映画ショーケース」

以下は、2月20日の深夜に Facebook に書いたもの。

 

今日(20日)も「次世代映画ショーケース」の一本、『枝葉のこと』(監督:二ノ宮隆太郎)を観るためだけに神戸の元町映画館へ。

フィクションだが、主人公を監督自身が演じている。幼いころ世話になった「おばちゃん」が、C型肝炎で余命いくばくもないと知り、何年かぶりに会いに行くという設定も、監督の実体験を基にしているという。
その主人公・隆太郎(27歳)だが、とにかくよく歩き、煙草を吸い、酒を飲む。その仕草には、日常への焦燥感と鬱屈が表れているように感じられる。そして、自動車整備工場で働いているときも、職場の先輩や後輩と酒を飲むときも、ほとんど表情を変えず、口数も極めて少ない。目は据わっていて、笑顔も見せない。こういう男が身近にいたら、かなり怖いと思う。
だが、この男、暴力は使わない(使えない?)。付き合っているスナックの女に暴言を吐き、彼女に殴られるときも、手は出さない。ただ、どうしようもない先輩にボコボコにされるときは、ちょっとやり返す。非暴力「主義」でもないようだ。
なんだ、徹底してないな、と思いつつ観ていたが、考えてみれば、実人生はそんなものかもしれない。実際、「おばちゃん」に会うことで、隆太郎は人生をリセットするのかと思いきや、久々にパソコンを開いてし始めるのはアダルト動画を見ながらのオナニーだし、「おばちゃん」に対して彼がしたことは、何度か手ぶらで見舞いに行き、カレーをふるまわれ、父(おばちゃんの兄?)に見舞いに行けと言い、「おばちゃん」が病院へ入ったために留守になっていた家に無断で上がり込んだことぐらいだ。
こう見てくると、この映画自体が、監督の「後悔」から生まれた産物のように思われる。つまり、カッコつけていない、美談にしていないという点、そこに監督の誠意が込められているのではないか。
最後に、タイトルやエンドクレジットの出し方に、新鮮な驚きを覚えたことを記しておきたい。白バックに、毛筆(たぶん)で墨文字。きれいな字だが、決してうまいとは言えない。しかし、極めてシンプルにしてプリミティブ。それが、本作が手づくりの瑞々しいインディペンデント映画であることを見事に告げていると感じた。

神戸で「次世代映画ショーケース」

以下は、2月19日に Facebook に書いたもの。

 

昨日(18日)の「次世代映画ショーケース」は、神戸の元町映画館で『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』(監督:マルタ・エルナイス・ピダル)と『鉱 ARAGANE』(監督:小田香)。シネ・ヌーヴォから元町映画館へ、阪神なんば線を使って行ったが、乗車時間は40分で、歩きを入れても1時間で着いた。

 

前者を観るのは2回目。自閉症の幼い娘ハヴァを働きながら育てるシングルマザー・ナダの奮闘ぶり。しかし、ナダの生活は決して「清く、正しく、美しく」ではなく、けっこうアバウトで、付き合っている男も二人いる様子。ではあるが、娘ハヴァに対しては、常に愛情をもって接している。障害の有る無しにかかわらず、子育て中のすべてのお母さん(お父さんも)に観てもらいたいなあと思っていたら、劇場公開の話も進んでいるという。たぶん、タイトルは変わると思うが、劇場公開が実現したら、ぜひご覧いただきたい。


後者を観るのは5回目ぐらいか。今回は最前列で観たが、まさに映画を「体感」することができた。轟音と闇と光。坑内にときどき鳴り響く警報は、有毒ガスの発生を知らせるものか、巨大な掘削重機の運転を告げるものか分からないが、不気味なことこの上なく、そこが生死を分ける労働の現場であることを思い知らせる。
上映後のトークは、小田香監督と元町映画館支配人・林未来さん。林さんの質問がとても自然で、小田監督も話しやすそうだった。この『鉱 ARAGANE』も、元町映画館にて近日公開、とのこと。お見逃しなく!
最後は、小田監督、元町映画館スタッフ、シネ・ヌーヴォスタッフらと飲み会。私は少々飲みすぎたようで、帰りの電車で寝過ごし、戻りの電車はすでになく、タクシーを使っての帰宅は午前1時となった。

「饗宴」の日

これは、2月16日の深夜に Facebook に書いたもの。

 

今日(16日)は午後から、朝日カルチャーセンター・芦屋教室で、大阪大学名誉教授・上倉庸敬(かみくら つねゆき)先生の西洋哲学の講義を聴く。テーマは「エロスについて」、テキストはプラトンの『饗宴』。『饗宴』なんて、聞いたことがあるだけで、まったく読んだことはなく、講義内容はほぼスルー。

講義後は、近くのS先生(男性)のお宅に8人でお邪魔し、S先生手作りの料理をいただきながら、文字どおりの「饗宴」。実はこちらが本日のメインイベントなのだ。午後4時から9時まで、よく食べ、よく飲んだ。なんと、ワインが7、8本も開いた。S先生を含め9人の職業・年齢もまちまちで、今ではどこで知り合ったのかも思い出せないのだが、いろいろなお話を伺って刺激を受け、「ありがたいことだなあ」と思いつつ帰宅。

 

上記の上倉先生が実行委員長を務める「第14回 大阪アジアン映画祭」(3月8日〜17日)のラインナップが発表された。ほとんど知らない作品ばかりで、プログラミング・ディレクター暉峻創三(てるおか そうぞう)氏の面目躍如というところか。
期間中は、日本映画を中心に、私もQ&A(映画制作者と観客との質疑応答)の司会・進行を何本か務めさせていただく。
どうぞ、上映作品と上映スケジュールを精査し、2月23日(土)の午前10時からチケットぴあやセブン-イレブンで発売される前売券をお買い求めください!

さらに「次世代映画ショーケース」について

これは、2月15日深夜に Facebook に書いたもの。

 

鶴橋からシネ・ヌーヴォまで、1時間25分歩く。私はやや方向音痴の傾向があるので、スマホの地図・経路表示はありがたい。それにしても、どこを歩いても、車より自転車が怖い。歩道の上を、けっこうなスピードで走ってくる。信号無視も、しょっちゅう見かける。


さて、今日(15日)の「次世代映画ショーケース」は、草野なつか監督の『王国(あるいはその家について)』。 前作『螺旋銀河』(2014年)は、ラジオドラマの脚本をめぐる物語だったが、今作は一本の映画の本読みやリハーサルの中で、出演者たちがどのように役づくりをし、声のトーンや身体性を獲得していくかを描いていて、極めてスリリングであり、上映時間の150分を長いとはまったく感じなかった。
「次世代映画ショーケース」のパンフレットには、シネ・ヌーヴォ支配人の山﨑紀子さんが素晴らしい解説を寄せているので、ぜひ購入して(500円です)お読みいただきたい。
上映後のトークは、草野監督とフィルム編集者・秦岳志(はた たけし)さん。秦さんは『王国(あるいはその家について)』にはタッチしていないが、編集者の立場から率直な質問をされていた。お客さんも多く、客席からも多彩な質問がなされた。
トークのあとは、草野監督と秦さんを囲んで、10人ほどの飲み会になった。こういう時間が、また楽しい!

「次世代映画ショーケース」のシネ・ヌーヴォでの上映は今日が最後で、ちと寂しい。しかし、ヌーヴォでは上映されず、神戸の元町映画館、京都の出町座でしか観られない作品もあり、できる限り両館にも出かけたいと思っている。

今日も「次世代映画ショーケース」について

以下は、2月14日深夜に Facebook に書いたもの。

 

今日(14日)は、シネ・ヌーヴォへ行く前に、大阪ステーションシティシネマで『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(監督:前田哲)と『バーニング 劇場版』(監督:イ・チャンドン)を観る。
前者は、3月30日からシネ・ヌーヴォで上映される前田哲監督によるドキュメンタリー『ぼくの好きな先生』の予習として。後者は、イ・チャンドン作品が好きなので。だが、主演女優チョン・ジョンソの魅力に、完全にやられた! これがデビュー作らしいが、今後、きっと多くの作品に抜擢されることだろう。

 

シネ・ヌーヴォの「次世代映画ショーケース」、今日は『わたしたちの家』(監督:清原惟)と『月夜釜合戦』(監督:佐藤零郎)。
前者は、11日の記事で監督のお名前を間違えていた。「唯」ではなく「惟」でした。ああ情けない。映画は、多くの謎を残したまま終わるが、一軒の家がパラレルワールドになっていることに気づいた時点で、その「意味」を問うことをやめたほうがいいのだろう。楽しむべきは、間取りには変更のない一軒の家の変化(内装の色調、障子や襖の有る無し、調度品など)であり、1階に土間と2間と台所、2階に2間とL字形の廊下という小さな家の中で繰り広げられるドラマの多彩な展開であろう。そういう見方は、先日の建築探偵・堀口徹氏によるレクチャーの影響が大きいことを告白しておかなければならないが。


後者の『月夜釜合戦』は、大阪人の感性・ユーモアセンス・心意気などが、こちらにすんなりと入ってくる。3月9日から、東京のユーロスペースでの上映が決まったそうだが、さて、東京ではどんなふうに受け取られるのだろう。
上映後には、梶井洋志プロデューサーと佐藤零郎監督が舞台挨拶。真面目な梶井プロデューサーと、明るくひょうきんな佐藤監督が好対照をなしていた。

明日(15日)の「次世代映画ショーケース」は、『螺旋銀河』で注目された草野なつか監督の『王国(あるいはその家について)』。150分の長尺だが、明日も私はシネ・ヌーヴォへ行く。
 
最後に、昨日(13日)の『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』(監督:マルタ・エルナイス・ピダル)上映後に行なわれたピダル監督と小田香監督(『鉱 ARAGANE』)によるスカイプ対談について、江口由美さんが見事なリポートを書かれたので、以下から読んでいただきたい。

https://cinemagical.themedia.jp/posts/5718378?fbclid=IwAR0Zeh09Nh7d50uaA19dH6njSvybOUfuDqn3Ml4VYjY6lnnZvzecGiqSMew

 

続々々「次世代映画ショーケース」について

これは、2月13日深夜に Facebook に書いたもの。

 

シネ・ヌーヴォまで、1時間半歩いて行く。
特集上映「次世代映画ショーケース」、今日(13日)は『鉱 ARAGANE』(監督:小田香)と『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』(監督:マルタ・エルナイス・ピダル)。
1本目上映後の小田監督の舞台挨拶は、今日も私が司会を担当。2本目の上映が控えているので、10分ぐらいしか時間がなく、そのことを事前に言ってしまったからか、客席からの質問は出ず(シネ・ヌーヴォのお客さんは優しいね)。ギリギリあと5分ぐらいは引っ張れたかと思うので、お客様にも小田監督にもわるいことをした、と反省。
私からの質問に対しては「半年の間に10回ぐらい地下の坑道に潜らせてもらったが、1回の滞在時間は4時間ぐらい、カメラを回せたのはその半分ぐらいなので、全部で20時間前後は撮影したと思います」とのお返事だった。


2本目の『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』のタイトルは、「ナダ・カディッチの混沌とした人生」というほどの意味か。自閉症の幼い娘を持つシングルマザー、ナダが主人公。ナダは働いて子育てをしているが、託児所では遅刻をとがめられ、公的援助を受けようとしても条件が合わずに断られ、気分を変えようと小さな赤い車で娘・ハヴァと旅に出ても、車がエンコしてしまう。ハヴァは言うことを聞かず、勝手気ままに動き回る(おそらく自閉症のせいで)。という具合で、見ていて「いやあ、大変だなあ」と思うのだが、ナダはハヴァを怒鳴ったり、手をあげたりは一切しない。映画は、ハヴァを見守る母・ナダの優しいまなざしで終わる。こちらは「頑張ってね、応援してるから」という気持ちになる。
上映後は、スカイプを使って、ピダル監督と小田監督の対談が約1時間あった。おふたりは、タル・ベーラの「film factory」で一緒に指導を受けた同期生で、今は互いの映画制作を手伝う仲間でもあるのだ。
このスカイプ対談では、小田監督が大変だった。まず、自分の質問を日本語と英語で行ない、ピダル監督の答えを日本語に訳し、客席からも質問が多数出たので、それを英語にしてピダル監督に伝え、その答えを日本語に訳さねばならないのだから。
しかし、そのおかげで、ナダを演じたアイーダさんには実際に自閉症の娘がおり(ハヴァがその娘本人)、映画はフィクションでありつつドキュメンタリーの側面も持つということ、またおふたり(ピダル監督と小田監督)の人柄・長所などもよく分かった。
同作品は、18日(17時10分〜)と22日(19時30分〜)に神戸の元町映画館でも上映される。『鉱 ARAGANE』も、18日(19時〜)に元町映画館でまた見られる。
なお、私はこれまで、ピダル監督のことをビダル監督と言ったり書いたりしてきたが、「ピ」と「ビ」を間違えていたので、この場を借りて訂正しておきたい(歳のせいで、小さい文字がよく読めないのです)。
さて、明日(14日)の「次世代映画ショーケース」は、シネ・ヌーヴォで『わたしたちの家』(監督:清原惟、18時40分〜)と『月夜釜合戦』(監督:佐藤零郎、20時30分〜)。明日も行かねばなるまい。

 

追記:本掲載にあたり、Facebook での表記を一部変更しています。