ケセラセラ通信日記 -7ページ目

続々「次世代映画ショーケース」について

以下は、Facebook に2月12日の深夜に書いたもの。

 

シネ・ヌーヴォの「次世代映画ショーケース」、今日(12日)は『プールサイドマン』(監督:渡辺紘文)と『鉱 ARAGANE』(監督:小田香)。前者は、地方都市の市営プールで監視員をしている孤独な男が主人公。誰ともしゃべらず、黙々と仕事をこなす。やがて、脳内か現実かは判然としないが、彼はテロルに傾斜していく。ちょっと怖い映画だった。
『鉱 ARAGANE』は何度観ても凄い映画だ。パンフレットに短い解説文を書かせていただいたからか、急遽、小田監督の舞台挨拶の司会を私がやらされるハメに。25分ほどの短い時間だったが、客席から次々と質問が出て、面白い展開になった。印象的だったのは、小田監督が指導を受けたタル・ベーラから、何度も「お前は何を撮りたいのか」と問われ、自分が魅せられたものに対して誠実でありたいと思い、こういう作品になった、というお話だった。
明日(13日)も18時40分から『鉱 ARAGANE』の上映がある。その次の上映作品は『ザ カオティックライフ オブ ナダ・カディッチ』(監督:マルタ・エルナイス・ピダル)で、このピダル監督は、タル・ベーラの「film factory」で小田監督と共に指導を受けた人だそうで、上映後には、ピダル監督と小田監督がスカイプで対談予定とのこと。これも楽しみだ。
では、明日もシネ・ヌーヴォでお会いしましょう。

 

追記:Facebook では、ピダル監督のお名前の「ピ」を「ビ」と間違えて表記していたので、本掲載では訂正しています。

続「次世代映画ショーケース」について

これは、2月11日の深夜に Facebook に書いたもの。内容がないようで、恐縮です。

 

シネ・ヌーヴォの「次世代映画ショーケース」、今日(11日)はドキュメンタリー映画『願いと揺らぎ』(監督:我妻和樹)で、上映後のトークは吉村萬壱さん(小説家)と山﨑紀子さん(シネ・ヌーヴォ支配人)だった。映画もトークも示唆に富むもので、面白かったのだが、私は今ちょっと酔っぱらっているので、あえてその内容には触れない。
明日(12日)は、わたくしイチ推しの『鉱 ARAGANE』(監督:小田香)が21時から上映される。ぜひお越しください!

「次世代映画ショーケース」について

このところ、Facebook によく書いていて、この「ケセラセラ通信」の読者にも読んでいただきたく、順次アップしていきます。なお、下記の「次世代映画ショーケース」は、京都・出町座で3月1日まで。以下の文章は、2月10日深夜に書いたもの。

 

シネ・ヌーヴォで特集上映「次世代映画ショーケース」が始まった。『泳ぎすぎた夜』(監督:五十嵐耕平+ダミアン・マニヴェル)と『わたしたちの家』(監督:清原惟)を観る。どちらも、すこぶる面白い。前者は、少年の大冒険とも言える内容。最後まで、セリフらしいセリフはひとつもなく、しかし映画として成立している。後者は、タイトルどおり「家」が主役でもある。一軒の家がパラレルワールドとなり、2組の居住者の生活と人生が描かれていく。やがて、両者をつなぐ小さな回路が出来て……。

上映後、建築探偵・堀口徹氏(近畿大学建築学部准教授)と西尾孔志氏(映画監督)によるトークが1時間もあったが、これも興味津々で聞き入った。
というわけで、「次世代映画ショーケース」には通うべきである。シネ・ヌーヴォは2月15日まで。16日から22日は神戸の元町映画館、23日から3月1日は京都の出町座で。
なお、同企画のパンフレット(500円は安い!)には、私も解説を書かせていただいている(『鉱 ARAGANE』〔監督:小田香〕と『月夜釜合戦』〔監督:佐藤零郎〕)。

 

 

 

2月1日(金)なんだかなあ

今年から禁煙しようと決意した。2週間は1本も吸わなかったが、「そんなにかたくなにならなくても」との思いに負け、タバコを買いに行ってしまった。

減煙して、徐々に完全禁煙にもっていけばいい、と考えたが、日に5本、10本、20本と増え、結局は元の木阿弥に。

そこで今度は、それまで吸っていた軽いタバコから、少し重いタバコに替え、本当に吸いたいときだけ「ズシン」と吸って、減煙を図ろうと考えた。

その少し重いタバコは、尊敬する映画評論家が吸っているものなのだが、かなり珍しい銘柄で、売っている店が限られる。カートンで買うと、また喫煙本数が増えてしまうだろうから、一箱ずつ買うことにした。梅田まで行けば確実に手に入るが、それは大変だから、自宅の近くで売っている店を探した。

しかし、これが売っていない。コンビニ、タバコ屋を何十軒と回ったが、ダメだった。

多くの場合、「すいません、置いてないです」「扱ってないですね」「ここ(陳列棚)になければ、ないです」との対応だったが、ごく稀に「聞いたことないです」と返された。

この返答には、内心「ちょっと待てよ。その銘柄を知らないのは、あんたが不勉強だからだろ。銘柄の数はやたらに多いから、知らないのは仕方がない。しかし、客の求めに応じられないときは『すみません』だろうが。『聞いたことないです』は、『そんなん知るか、ややこしいこと言うてくんな』と聞こえるぞ!」と思った。もちろん、口には出さないが。

なかには「メーカーはどこですか」と訊いてきたコンビニ店員もいた。タバコのメーカーって?と思ったが、「韓国のタバコなんですが」と言うと、「ケッ!」という顔をした。これなど、もうヘイトの領域ではないか。

そして、これらの言葉や態度は、人を傷つける。本人は意識していないのだろうが。そんなとき、接客は難しいなと思うと同時に、こんな社会には生きていたくない、とも思うのである。

発信すること

なんと、昨年8月8日以来の更新である。自分の書くものに、どれほどの意味があるのか、という思いが常にある。慧眼と認める知人から「つまらぬ」と言われたこともある。打たれ弱い私は、黙り込む。物言えば唇寒し……という思いもある。

昨日(5月24日)から、シネ・ヌーヴォで「革命の映画/映画の革命」という特集上映が始まった。これは、ボリビアのホルヘ・サンヒネス監督を中心とする「ウカマウ集団」が制作してきた全作品のレトロスペクティヴだ。
その1本目として、最新作『叛乱者たち』(2012年)を見た。チラシによれば《18世紀末、スペインの支配からの解放を目指す先住民族の戦いに始まり、(中略)2006年、ついに先住民出身のエボ・モラレス政権が誕生するまでの歴史を物語り……》とある。200年以上にわたって抑圧・差別されてきた先住民たちの戦いの記録と記憶が、83分のうちにコンパクトにまとめられている。南米大陸の内陸部にあるボリビアという国の知られざる歴史に触れるという興味が、映画を最後まで飽きさせないが、私はずっと「健全だなあ」という思いで見ていた。
公園に入ることも、道路の歩道を歩くことも許されなかったという先住民たちの被虐性は目に余るものだが、それに対して、直接民主主義と言ってもよい集団的討論を繰り返すことによって対抗策を考え実践してきた抵抗の歴史、新自由主義を背景とする多国籍企業の水や天然ガスの収奪に対する闘争など、そこには負け戦を覚悟しつつも正しいと思うことを主張し、正義を実現しようとする強い意志が連綿と脈打っている。
それを見て、「健全だなあ」と思った次第。ひるがえって、わが国はどうか。3・11以後、見捨てられる被災者たち、根本的見直し・出直しが行なわれない原発政策、特定秘密保護法、集団的自衛権……。どうしてこんな国になってしまったのか、という思いが強い。そして、私ごときが何を言っても、この流れは変えられないだろうという諦念。

『叛乱者たち』の上映後には、ウカマウ集団の映画を日本に紹介し、今日まで彼らと並走してきた太田昌国さんのトークもあった。出版社「現代企画室」編集長であり、『極私的60年代追憶』『「拉致」異論』などの著書もある太田さんは、世界を覆うグロバリゼーションや新自由主義への違和感を、静かに、しかしキッパリと語られ、それらの言葉は、めずらしくストンと私の胸に落ちてきたのだった。

というわけで、たとえ負け戦であっても、ごまめの歯ぎしりであっても、言いたいことは言っていこうと思ったのだ。小さな発信であっても、いくばくかの影響を他に与えられるかもしれない、と信じて。いや、「信じて」というほど強い意思でもないのだが。
今日も午後4時40分から、ウカマウ集団制作『地下の民』(1989年)の上映がある。続けて、ウカマウ集団にシンパシーを感じている(?)空族(くぞく)の名作『サウダーヂ』(2011年、監督:富田克也)も上映される。で、私は今日もシネ・ヌーヴォへ行く。

今日の悔恨

今日はことさら蒸し暑い。ちょっと出歩いただけで、汗びっしょり。雨になるかも、と思う。しかし、最近はその雨も、ゲリラ豪雨などと呼ばれるとんでもない降り方をするから、油断ならない。地球全体がおかしくなっているのだと思う。福島第一原発の汚染水たれ流しも、恐ろしいことだ。環境に影響が出ないはずはない。私はなるべく肉を食べないようにしているのだが、そのうち魚も食べられなくなるかもしれない。原発憎し。
さて今日のテーマ。
地下鉄で。私の両隣の席が空いた。立っていた親子連れが来て、母親が6、7歳ぐらいの男の子を私の右側の席に座らせた。私が左にずれれば、お母さんも座れる。だが、私はそれをしなかった。次の駅で降りるし、目立つことはしたくなかった。「いい人ぶってどうするんだ」という思いもよぎった。しかし、お母さんを座らせてあげればよかった、と今も思う。
道路で。信号待ちをしているオジサンがいた。よれよれのTシャツに、髪はモジャモジャ。右手には缶ビール。ホームレスかもしれない。背負ったリュックのジッパーが大きく開いていて、走ったりすると中のものが飛び出しそうだ。背中のことだから彼には分からないし、そういうことに頓着しない人のようにも見える。結局、これも注意してあげなかった。オジサンはオジサンが嫌いだし、逆ギレされるかも、という不安もあった。でも、注意してあげればよかったのに、という思いは残った。
いずれも小さな出来事で、こうして書き留めておかないと、明日には忘れているだろう。思うのは、こういう小さな悔恨、取り返しのつかない大きな悔恨を積み重ねて、私は死んでいくのだろうな、ということだ。だからどうすべき、と人生訓みたいなことは言いたくないし、言えない。

『セデック・バレ』を見るべし

昨日(4日)の夜、大阪・福島のABCホールで『セデック・バレ』の第一部「太陽旗(たいようき)」が上映された。8日(金)から始まる「第8回大阪アジアン映画祭」のプレオープニングとして。監督のウェイ・ダーションさんも舞台あいさつに来てくれた。その中で印象的だったのは「(日本人と台湾人の)和解を願ってこの映画を作った」という言葉だった。1年ぶりに見る彼は、やはりどこまでも誠実で偉ぶらない、好い人でありました。昨年は不肖わたくしがトークショーの司会を務めたので、ひよっとしたら覚えていてくれるかな、などと思っていたが、顔を合わせる間もなく、作品キャンペーンのために東京へあわただしく向かわれた。
映画についての感想は、昨年3月19日のこの日記に書いたので繰り返さないが、今回あらためて見て感じたのは、ウェイ・ダーションは抒情の人なのだなあということだった。その意味では、前作の『海角七号/君想う、国境の南』と変わってはいない。また、殺し殺されという激烈な内容なのに(歴史的事実としてそれがあった)、残酷なシーンは極めて抑制して撮られていると感じた。
この映画、ともかく余計な先入観を持たずに、できるだけ多くの人に見てほしいと思う。第一部・第二部で計4時間36分におよぶ大作。東京では4月20日(土)からユーロスペースと吉祥寺バウスシアターで、大阪では4月27日(土)からシネ・ヌーヴォと第七藝術劇場で、その他全国40館で順次公開される。
ぜひご覧ください。

私のトピックス/その3

風邪をひいてしまった。もう10日間ぐらいグズグズしている。本当に辛かったのは数日だけなのだが、どうもスッキリ治ったという感じがせず、そうなると「明日からちゃんとしよう」と思いつつ、ついダラダラしてしまうのだ。
しかし、以前から決まっていた用事があり、今日はそれに押されるようにして出かけた。
まず、帽子作家・池田幸子さんの作品展だ。池田さんとは、シネ・ヌーヴォの字幕朗読上映会(目の不自由な方にも映画を楽しんでもらうために、その情景描写やセリフをボランティアが数人で朗読し、「観客」である目の不自由な方たちには、その音声をヘッドホンで聞きながらスクリーンに向かってもらうという催し)のボランティアに参加してくださったことから知り合った。
池田さんは毎年作品展を開かれていて、聞けば、半年間はそれに出品する作品づくりに充て、残りの半年間は注文を受けた作品づくりに充てるのだという。つまり、一年じゅう自宅兼仕事場でコツコツと帽子をつくっておられるわけである。「職人」に憧れている私だが、風邪ごときで何をする気力も失っているようでは、とても彼女の足下にも及ぶまい。
さて、今日も30点ほどの新作を見せていただいた。すでに池田さんにつくっていただいた帽子は三つ持っていて(春・秋用の焦げ茶のパナマ帽、夏用の生成りのパナマ帽、冬用のグレーのソフト帽)、今日は見るだけのつもりだったが、見ると欲しくなり、ハンチングを注文してしまった。後日、仕事場にお邪魔して素材と色を決め、制作に入っていただくという段取り。値段は3万円前後で、私にとっては安くはないが、すべて手づくりなのだから、その手間を考えれば、良心的な価格設定だと言えよう。
その池田幸子さんの作品展は、明日(22日)まで。心斎橋のホテル日航大阪裏のギャラリー「TK art」(電話06-6282-1456)で11時から18時。ご紹介が遅くなってしまったが、興味のある方は駆けつけてください。

話変わって、10月12日(金)に梅田ガーデンシネマで『ライク・サムワン・イン・ラブ』の最終上映を見た。先月の映画観賞会で同作品を見て、その後の飲み会で、老教授タカシと女子大生のデートクラブ嬢・明子は「した」のか「しなかった」のかで意見が分かれたからだ。
私は「しなかった」派だったが、再見して、悔しいが意見を変えざるを得ない。
その理由1。夜、明子がタカシのマンションに来て、その翌日、ソファーで寝たと思われるタカシが、ソファーの上の毛布をたたむシーンがある。その時、ネックレスだかブレスレットだか、はっきりとは分からないのだが、金色の鎖状のものが、シャリンと床に落ちる。タカシはそれを拾い上げ、カーディガンのポケットにしまう。つまり、明子は一旦眠ったあと、ベッドからソファーに移動し、何事かを「した」と推測できるのだ! あくまで推測なのであるが、このシーンを見た時、「なんでこれを見逃したんだろう」と愕然とし、それは「した」への確信に私を導いたのだった。
理由2。明子に対して、前夜は「あなた」とか「きみ」と呼んでいたタカシが、翌日は「明子」と呼び捨てにしている点。それは、一夜のうちにふたりの距離が(肉体的接触によって)急激に縮まったことを示しているのではないか。
というわけで、『ライク・サムワン・イン・ラブ』には随分楽しませてもらった。キアロスタミ監督の掌の上で遊んでいたようでもある。監督はニヤッと笑っているかもしれない。

私のトピックス/その2

ノーベル医学生理学賞を受賞された山中伸弥さん、おめでとうございます! まったく面識はないが、お人柄も良さそうだし、大阪人で、講演でも必ず笑いをとることを心がけているというのも嬉しい。
原発問題で脚光を浴びた京大原子炉実験所助教の小出裕章さんもそうだが、学者・研究者の世界には、本当に人類や地球のことを思い、私利私欲なく地道な研究や実験に没頭している人がいるようで、まことに清々しい。

さて、私が主宰する(と言うのもおこがましいが)月一回の映画観賞会は今も続いていて、先月はアッバス・キアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』を見た。見る作品・日時・映画館を私が決め、毎回30人ほどにメールをお送りしているが、来られるのは大体2~3人。この日は、Nさん、Yさん、K先生の3人がお越しになった。
イランの監督が、日本人俳優とスタッフを使い、日本で撮り、日本語で作られた日本・フランス共同製作という作品。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『珈琲時光』を思い出したりした。
おもな登場人物は3人で、84歳の元大学教授タカシ(奥野匡)、女子大生のデートクラブ嬢・明子(高梨臨)、その彼氏のノリアキ(加瀬亮)。タカシは亡妻にも似たデートクラブ嬢・明子を自宅マンションに呼ぶが、明子はタカシが用意しておいた食事にも手をつけず、眠いと言いだす。翌朝、タカシは明子を車で大学まで送るが、そこにはストーカー的に明子を束縛しようとするノリアキが待っていて、明子に詰め寄る。タカシはその様子を車の中から見ているが、会話の内容までは分からない。ノリアキはタカシを明子の祖父だと勘違いする。やがて、ノリアキはタカシと明子の関係を知り、タカシのマンションに押し掛けて手荒くドアをたたく。その部屋には明子も居て……。
というような展開が、24時間にも満たない時間設定の中で起こる。説明的なセリフはまったくないので、謎がやたらに多い。そもそも、タカシはどこで明子を見つけたのか。明子を部屋に呼んだ理由は何か。ノリアキはどのようにして二人の関係を知ったのか。しかし、その「二人の関係」すらも曖昧なのである。
それはまるで3人の人生の中に突然飛び込み、わけも分からぬままに一晩と半日付き合わされ、また唐突にそれを打ち切られてしまったような映画体験なのだっだ。キアロスタミ監督は「私の映画は始まりもなく、終わりもない」と語り、また、タカシ役の奥野匡も「撮影に入るときになっても台本はないと言われ、毎日翌日撮影する分だけしかもらえませんでした。だから明子とタカシのあいだに何があったのか、僕らにもわかりません」と語っている。だとすれば、この謎の多さ、曖昧さは監督の意図したことではないのか。つまり、人生とはこういうものだと。

映画を見終わったあとは飲み会と決まっていて、この日も4人で居酒屋へ。見てきた映画の話になることもあれば、まったく触れられないこともあるのだが、この日は映画の話で盛り上がった。なにしろ謎だらけなのだから。たとえば、老教授はなぜ運転中の信号待ちで居眠りをしてしまったのか、という問題について。K先生は歳をとると眠くなるんだと言い、私はノリアキとの対決で実は疲れていたのではと混ぜ返す、という具合。
そんな話をしていると2時間があっという間に経ち、さてそろそろお開きにするかというころ、K先生が携帯のメールに気づいた。なんと、別のYさんが飲み会に合流しようと、どこかで待っているという。みんな青くなった。話に夢中で、4人とも携帯の電源を切ったまま(つまり、映画が始まる前に4人ともお行儀よく電源を切ったということ)だったのだ。あわてて電源を入れたら、私の携帯にもGさんからのメッセージが残っていた。「ヨドバシカメラあたりで時間をつぶしてます」と。というわけで、この日は2人の女性に待ちぼうけをくらわせてしまったのだった。すみませんでした!

翌日の夕方、K先生からメールが来た。「パンフレットを読んでいたら、女性評論家が、朝うとうとしてしまうのは、あの二人がしていたからだと書いていました。なるほど!と膝を打ちました。」とある。えーっ!?と思い、私もパンフレットを読み返してみた。川口敦子さんが《明かりが消えた後、ふたりは何かをしたのか。》と書いているが、「した」とは断定していない。しかし、朝の車の中で明子があくびをしていたことにも言及していて、これは私が見落としていた部分で、ちょっと分からなくなった。だが、タカシがソファーの毛布をたたんでいるカットもあったはずで、それはタカシがソファーで寝たことを示しているのではないか。うーん、これはもう一度見てみなければ。
京都映画祭で、この日のメンバーを交えてまた飲んだ。当然この話になり、K先生とYさんは「した」派、Nさんと私は「していない」派に分かれた。ますます、もう一度見てみなければという気持が強くなった。
もう上映は終わったと思っていたが、大阪では12日まで梅田ガーデンシネマで朝一回だけ(9:50~)上映していることが分かった。もちろん見に行くつもりだが、何度見ても迷うような気もしている。

ところで、タイトルの意味は「恋をしている誰かのように」ということだろうか。なかなか良いタイトルだと思う。私が身近に感じるのは、当然ながらタカシだが、84歳の恋心はまだ分からない。

私のトピックス/その1

次の衆議院選挙はどうなるのだろう。民主党のていたらくは目に余り、自民党の支持率が上がっていると聞いても「おいおい、またあの利権まみれの社会に逆戻りかい」と思うばかりだし、日本維新の会も橋下人気に便乗した政治家たちの集まりであることがバレてきたし、さりとて当選しそうもない人に投票するのもなあ……。要するに、推したい人や政党がないのである。
こういう政治がらみの話をすること自体、マスコミに踊らされているようで、なんだか後ろめたい。だって、あの震災からの復興は停滞したままだし、原発問題などは後ろ向きに進んでいるようにさえ思えるからだ。原発利権も、相当に根深くしぶとく広がっているのであろう。
まったくうんざりすることばかりなのだが、そんな中で、映画人はけっこう頑張っていると思えるのが救いだ。先日、京都映画祭で見た『なみのおと』(監督:濱口竜介、酒井耕)は、東日本大震災で津波の被害を受けた人々6組の「語り」だけで構成されたドキュメンタリーで、私は王兵(ワン・ビン)監督の『鳳鳴(フォンミン)ー中国の記憶』を連想した。上映時間142分は、ちょっと長かったけど。
『なみのおと』に限らず、『311』(監督:森達也、綿井健陽、松林要樹、安岡卓治)、『大津波のあとに』(監督:森元修一)、『3月11日を生きて~石巻・門脇小・人びと・ことば』(監督:青池憲司)、『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』(監督:松林要樹)、『うたごころ~宮城・三陸 女子高校生たちの青春~』(監督:榛葉健)などなど、私が見てきたドキュメンタリー作品はいずれも良質なもので、それぞれに映画制作者たちの真摯な姿勢が伝わってきた。賛否や好き嫌いは当然あるだろうが、うんざり・げんなりすることが多い昨今の世の中で、この映画人による様々な試みと成果は清々しく、見る者に励ましを与えてくれる。
京都映画祭ではほかにも中島貞夫監督の4作品を見、あらためてそのアナーキーな活動屋魂のほとばしりを堪能した。かつて憧れの人だった梶芽衣子さんのトークが聞けたのも収穫だった。スクリーンでの寡黙なイメージとは違い、あんなに喋る人だったとは!

京都映画祭には2日通い、しかも毎晩映画仲間たちと飲むという、楽しく贅沢な時間を過ごしたのだが、私には心配事がひとつあった。それは、自分のビジネスバッグが今にも壊れそうなことであった。バッグを肩にかけるベルトが、バッグ本体から千切れそうになっていたのだ。ベルトは金属製のリングにつながっており、そのリングは2センチ角ぐらいの合成皮革の小片に挟まれ、その小片は糸でバッグ本体に縫い付けられているのだが、その糸がどんどんほつれ、まだ生きているのは1センチほどの縫い目だけ、という状態なのだった。
しかし、そこが切れてしまっても、別の部分についている把っ手で提げればいいのだし、買い替えるのはそれからにしようと思っていた。ただ、いつどこでブチッとくるか分からないので、それが心配なのだった。
そんな気持で2日間を過ごし、やれやれどうやら保ってくれたと安堵しつつ事務所の前まで戻ったちょうどその時、待っていたかのようにブチッ、ドサッときた。合成皮革の小片も飛び散った。しかし、この小片さえバッグにくっついていれば、まだまだ使えるのである。
そこで閃いた。瞬間接着剤を試してみようと。コンビニへ行ってみると、何種類も置いてあった。ゼリー状の「アロンアルフア」を買う。357円だった。指に付着すると大変らしいから、恐る恐る使ってみた。確かに液ダレせず、使いやすい。問題は、これで完璧にくっつくかどうかだ。そのまま一晩おく。
翌朝、見事にくっついていた。力を入れて引っ張ってみても、びくともしない。おそるべし、日本の技術力!