最後の「次世代映画ショーケース」 | ケセラセラ通信日記

最後の「次世代映画ショーケース」

今日(3月1日)は、京都・出町座で「次世代映画ショーケース」の最後の2本『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』(2014年/以下『天竜区』)と『夏の娘たち 〜ひめごと〜』(2017年/以下『夏の娘たち』)を観てきた。監督はともに2017年7月に47歳の若さで急逝した堀禎一で、『夏の娘たち』が遺作となった。

 

『天竜区』のほうだが、奥領家は「おくりょうけ」と読むようだ。浜松市の最北部、標高740mに位置する大沢集落での製茶の様子を丁寧に描いたドキュメンタリー。ナレーション、字幕、音楽、インタビューは一切なく、これも「ダイレクトシネマ」の一本と言えるだろう。

斜面集落の言葉どおり、家屋は急斜面にへばりつくように建ち、茶畑も段々になっている。女たち(主に高齢者)が茶を摘み、小さな製茶工場に運び込む。重さが測られ、乾燥され、粉砕され、すりつぶされ、煎られ、大きな茶箱に収められる。前述したように説明は一切ないので、その工程の記述に誤りがあるかもしれないが、ともかく淡々とカメラに捉えられ、それがすこぶる面白い。

製茶工場の前には、いつも一匹の犬(柴犬か)がいて、あくびばかりしている。おばさんたちが三々五々、工場に立ち寄るが、知らん顔。そのたたずまいがいい。一度だけ吠えたが、映画スタッフに対してではないように思えた。何に吠えたのだろう?

家内制手工業という言葉があるが、工場の中はそんな感じ。老人男性、中年男性、その妻(?)がいて、この3人が工場を切り盛りしているようだ。おそらく家族であろう。老人は、仕事の合間にときどき椅子に座って煙草で一服する。中年男性は、茶の煎り具合をチェックする役割のようだ。機械がいくつも並んでいるが、それほど複雑な構造でもないようだ。実際に、スパナやハンマー、ペンチなどが棚に並んでいるカットがあるが、そういう道具で故障を直せる機械なのだろう。

山には陽があたり、ときには雨になり、深い霧が湧く。茶の新芽は朝露を吸い、天を突くように伸びる。それがまた摘まれ、日が暮れ、朝が来る……。この地は「天空の里」と呼ばれているそうだが、ある種の理想郷であり、こういうのが本当の「生活」なんだろうなあと思えてくる。

この『天竜区』はシリーズになっていて、5作品あるそうだ。そのすべてを観たいと思った。

 

『夏の娘たち』は、おかしな映画だ。主演は『へばの』『おだやかな日常』『月夜釜合戦』などの西山真来(まき)。R15+指定になっているし、濡れ場も何度か出てくるのだが、まったくエロスを感じさせない。むしろ、義理の姉弟間でのまぐわいや、「えっ? この男と関係しちゃうの」と驚くまぐわいなど、山深い田舎町での複雑・濃密な人間関係を描くことに主眼があるように思われる。道祖神にまつわるセリフも出てきて、やはりセックスと書くよりは「まぐわい」がふさわしい。

周りの大人たちも、娘が不倫をしていても、とがめるでなし、失恋して自殺した男がいても「そんなこともあったなあ」みたいな感じで会話をする。なんともおおらかである。

映画づくりもおおらかというか、アバウトというか、細かいことには頓着しない、といったふうだ。カメラアングルに工夫を凝らした様子はなく、環境ノイズもカットされていず、セリフが聞き取れなかったりする。しかしそれは、今ある映画への挑戦として、あえて選ばれた手法のようである。賛否はあると思うが、大きな問題提起にはなっていよう。少なくとも私は、そう受け止めた。

 

ずっと観てきた「次世代映画ショーケース」だが、今日観た2本で終了となった。なんとも寂しい限りだ。シネ・ヌーヴォ、元町映画館、出町座の共同企画による本特集は、実にスリリングで興味深い内容だった。さまざまな困難はあると思うが、来年もぜひ実施してほしい。